「私がやった方が早い」が組織を蝕む。チームを成長させる権限移譲の技術

はじめに:なぜ、あのマネージャーのチームは自ら動かないのか

「結局、私がお客様のところへ行かなければ話が進まない」 「部下に任せると、かえって手直しに時間がかかってしまう」 「チームの目標も追わなければいけないのに、自分の目標数字もあって手が回らない」

企業の成長を牽引する経営者の皆様であれば、営業部門の要であるプレイングマネージャーから、このような悲鳴にも似た声を聞いたことがあるのではないでしょうか。もしくは、経営者ご自身がプレイングマネージャーとして、同様の悩みを抱えていらっしゃるかもしれません。

かつてはエースプレーヤーとして誰よりも高い成果を上げてきた。その実績を買われ、チームを率いる立場になった。しかし、いざマネージャーになると、プレーヤー時代とは全く異なる壁にぶつかります。部下は指示を待つばかりで自発的に動かず、チームとしての成果は上がらない。焦りから、つい自分が前に出て案件をまとめてしまう。その結果、マネージャーはさらに多忙になり、部下はいつまで経っても育たない…そんな悪循環に陥っていないでしょうか。

この問題の本質は、マネージャー個人の能力不足にあるのではありません。これは、多くの企業が陥りがちな**「構造的な罠」**なのです。本稿では、優秀なプレーヤーであった人ほど陥りやすいプレイングマネージャーの罠を解き明かし、チーム全体の力を引き出し、組織として成長していくための「仕事の任せ方」について、具体的かつ論理的に解説していきます。

第1章:プレイングマネージャーが陥る「4つの罠」

なぜ、優秀な人材がプレイングマネージャーになった途端、チームを機能不全に陥らせてしまうのでしょうか。そこには、役割の変化に伴ういくつかの典型的な「罠」が存在します。

罠1:『自分がやった方が早い』という名のマイクロマネジメント

これは最も多くのプレイングマネージャーが陥る罠です。特に、自身がトップクラスの営業成績を上げてきたマネージャーほど、この傾向は強くなります。部下の提案書を見れば、改善点がすぐに見つかる。商談の進め方を聞けば、もっと効率的なやり方が思い浮かぶ。その結果、「ああ、もういい。私がやる」と、仕事を巻き取ってしまうのです。

短期的には、その方が早く、そして質の高い成果が出るかもしれません。しかし、この行動が繰り返されることで、部下は「どうせ最後はマネージャーがやってくれる」「下手に自分で考えて進めるより、指示を待った方が安全だ」と考えるようになります。部下から**「自分で考え、やり遂げる」という貴重な成長の機会**を奪い、指示待ち人間を生み出す土壌を、マネージャー自らが作ってしまうのです。これは、部下の主体性を著しく損なうだけでなく、仕事の面白さ、つまり達成感を本人から奪う行為でもあります。

罠2:プレーヤー意識が抜けない「エースの残像」

マネージャーになったにもかかわらず、意識が「個人としての成果」に強く向き続けてしまうケースです。評価制度が個人の売上目標達成に重きを置いている場合、この罠に陥りやすくなります。

チーム全体の目標達成よりも、自分の担当顧客や大型案件を優先してしまう。チームメンバーへのアドバイスや育成に時間を割くよりも、自分の営業活動に時間を使いたがる。その結果、チームは「マネージャーとその他メンバー」という構図になり、一体感が失われます。マネージャーは孤独なエースとして奮闘し、他のメンバーは傍観者となる。これでは、組織としての力は一向に高まりません。マネージャーの役割は、**「自分が点を取ること」から、「チームが点を取れるように作戦を立て、選手を育てること」**へと変わったのだという認識の転換が求められます。

罠3:育成時間を確保できない「時間配分の誤り」

「育成が重要なのは分かっているが、時間がない」。これもまた、よく聞かれる言葉です。プレイングマネージャーは自身の営業活動とマネジメント業務を兼任するため、常に時間に追われています。日々の案件対応やレポート作成、会議などに忙殺され、部下一人ひとりと向き合う時間がどうしても後回しになりがちです。

しかし、これは時間配分の優先順位の問題です。目先の成果を追い求めるあまり、未来への投資である「人材育成」を怠れば、チームの力は先細りしていく一方です。部下が育たないため、マネージャーへの業務集中はますます加速し、さらに時間がなくなるという悪循環に陥ります。**忙しいからこそ、意識して部下の育成時間を確保する。**この意思決定ができるかどうかが、チームの将来を大きく左右します。

罠4:曖昧な評価基準がもたらす「行動のブレ」

企業側がプレイングマネージャーに何を期待しているのか、その役割と評価基準を明確に示せていない場合、マネージャーの行動はブレてしまいます。

個人の売上目標と、チームの売上目標の両方が課せられている。しかし、その比重や、部下の育成をどのように評価するのかが曖昧。このような状況では、マネージャーはより分かりやすく、評価されやすい「個人の売上」を追うことに注力しがちです。経営者は、プレイングマネージャーに対し、プレーヤーとしての成果以上に、チームをまとめ、部下を成長させ、組織全体の成果を最大化することを求めているのだという明確なメッセージと、それを反映した評価制度を示す必要があります。

第2章:思考の転換:「自分が売る」から「チームで勝つ」へ

これらの罠から抜け出すために、まずマネージャー自身に求められるのは、根本的な思考の転換です。それは**「自分がスーパープレーヤーであり続けること」を手放し、「最強のチームを作り上げる監督になる」**と覚悟を決めることです。

自分の成果がゼロになったとしても、チームメンバー5人がそれぞれ80点の成果を出せば、合計は400点です。自分が120点の成果を出し、残りのメンバーが50点ずつしか出せなければ、合計は320点にしかなりません。どちらが組織にとって有益かは明白です。

この思考の転換は、単なる精神論ではありません。極めて合理的な経営判断です。マネージャー一人の力には限界があります。しかし、チームメンバー一人ひとりの力を引き出すことができれば、その力は掛け算のように増大していきます。そして、その状態こそが、特定の個人の頑張りに依存しない、安定した営業組織の姿なのです。

この転換を実現するためには、マネージャーは自身の成功体験を一旦脇に置き、**「自分のやり方が唯一の正解ではない」**と認める謙虚さを持つことが重要です。部下には部下の個性があり、自分とは違うやり方で成果を出す可能性があります。その多様性を認め、それぞれの個性を活かす方法を考えることこそ、マネジメントの面白さであり、チームの力を最大化する出発点となります。

第3章:チームを動かす、戦略的な「仕事の任せ方」

思考の転換ができたなら、次はいよいよ具体的な行動に移します。チームの力を引き出す「仕事の任せ方」は、単なる業務の割り振りではありません。部下の成長を促し、組織力を向上させるための、極めて戦略的なマネジメント技術です。

ステップ1:任せる仕事の選定と「目的」の共有

仕事を任せる際は、「なぜ、この仕事をあなたに任せるのか」という目的と背景を丁寧に伝えることが極めて重要です。

  • 現状の共有: 「今、チームはこういう状況で、この案件を成功させることが、全体の目標達成にとって非常に大きな意味を持つんだ」
  • 期待役割の伝達: 「この仕事を通じて、君には〇〇というスキルを身につけてほしい。将来的には、この分野を君に任せられるようになると、チームとしてさらに強くなれると考えている」
  • 成長への期待: 「少し難しい挑戦かもしれないが、君ならできると期待している。この経験は、必ず君自身のキャリアにとってもプラスになるはずだ」

単に「この案件、担当しておいて」と指示するのと、上記のように目的を共有するのとでは、部下の仕事に対する当事者意識が全く変わってきます。自分が「作業者」ではなく、チームの重要な一員として**「期待されている」と感じること**が、貢献実感に繋がり、仕事へのモチベーションを高めます。

ステップ2:明確なゴールと「裁量範囲」の設定

目的を共有したら、次は具体的な業務内容を指示します。ここで重要なのは、「丸投げ」と「権限移譲」を混同しないことです。

  • ゴール(What)の明確化: 「いつまでに、どのような状態になっていれば成功か」というゴールは、具体的かつ明確に定義します。数値目標や成果物のイメージなどをすり合わせ、認識のズレがないようにします。
  • プロセス(How)の委任: ゴールに至るまでの具体的な進め方については、可能な限り部下に任せます。もちろん、守るべきルールや予算といった制約条件は伝えますが、その範囲内であれば、部下自身が考えて行動できる余地、つまり**「裁量」**を与えます。

この裁量の範囲が、部下の「自己表現」の場となります。自分で考え、工夫し、行動することで、仕事は「やらされるもの」から「自分ごと」へと変わります。もちろん、最初は失敗もあるでしょう。しかし、その失敗こそが、何よりの学びとなるのです。

ステップ3:途中経過の確認と支援(「1on1」の活用)

仕事を任せたら、完全に放置してはいけません。かといって、四六時中監視するのも逆効果です。求められるのは、「伴走者」としての関わりです。

そのために有効なのが、定期的な**「1on1ミーティング」**です。これは、進捗を管理するだけの会議ではありません。部下が安心して現状を話し、悩みを相談できる対話の場です。

マネージャーは、以下のような問いかけを通じて、部下の思考を促します。

  • 「今、順調なことは何ですか?」
  • 「逆に、何か困っていることや、進めにくいと感じていることはありますか?」
  • 「その課題に対して、何か自分で試してみたことはありますか?」
  • 「次にどんな一手を打てば、状況が良くなると思いますか?」

ここでのマネージャーの役割は、**答えを与える(ティーチング)のではなく、部下が自分で答えを見つけ出すのを手伝う(コーチング)**ことです。この対話を通じて、部下は課題解決能力を養い、マネージャーは部下の状況を的確に把握し、必要なサポートを適切なタイミングで行うことができます。

ステップ4:結果のフィードバックと「次」への接続

仕事が終わったら、その結果に対するフィードバックが不可欠です。これは、部下の成長を加速させるための最も重要なプロセスです。

  • 成功した場合: 「お疲れ様。目標達成おめでとう」という言葉だけで終わらせてはいけません。「特に、あのお客様への提案の切り口が素晴らしかった。なぜ、あのようなアイデアを思いついたのか、ぜひ教えてほしい」というように、**何が良かったのかを具体的に伝え、成功の要因を本人に言語化させます。**これにより、成功体験は再現性のあるスキルへと昇華されます。
  • 失敗した場合: 決して感情的に叱責してはいけません。まずは、挑戦したことを労います。その上で、「今回は残念な結果だったが、この経験から何を学べたと思う?」と問いかけ、失敗の原因を一緒に分析します。「何が足りなかったのか」「次はどうすれば上手くいきそうか」を本人に考えさせることで、失敗は単なるミスではなく、次なる成功への糧となります。

このようなフィードバックの繰り返しが、部下の成長実感に繋がり、「もっと挑戦したい」という意欲を引き出すのです。

第4章:プレイングマネージャーを孤立させない組織の仕組み

ここまで、プレイングマネージャー自身の意識改革と行動変容について述べてきました。しかし、この変革を個人の努力だけに依存させるのには限界があります。経営者は、プレイングマネージャーがその役割を全うできるよう、組織としてサポートする仕組みを構築する必要があります。

1. マネージャーの役割の再定義と評価制度の見直し まず、企業としてプレイングマネージャーに何を期待するのかを明確に定義します。「個人の売上目標」の比重を下げ、「チームの目標達成度」や「部下の成長度合い」といった、マネジメントとしての成果を評価の中心に据えるべきです。これにより、マネージャーは安心して育成やチームビルディングに時間とエネルギーを注ぐことができます。

2. 情報共有と業務プロセスの「見える化」 優秀なプレイングマネージャーが抱え込みがちなのが、個人のノウハウや顧客情報です。これらが属人化している状態は、組織にとって大きなリスクとなります。 誰が、どのような営業活動を行い、どのような成果を出しているのか。成功している営業の「勝ちパターン」は何か。これらの情報をチーム全体で共有し、誰もがアクセスできる仕組みを構築することが重要です。営業プロセスや成果が**「見える化」**されることで、マネージャーは的確なアドバイスができるようになり、メンバーは互いに学び合うことができます。

3. マネージャー自身が学び、相談できる場の提供 マネージャーもまた、最初から完璧ではありません。彼ら自身がマネジメントについて学び、悩みを共有できる場を提供することも、経営の重要な役割です。マネージャー同士のミーティングを定期的に開催したり、外部の研修機会を提供したりすることで、彼らの成長を支援し、孤立を防ぐことができます。

おわりに:マネージャーの変革が、組織の未来を創る

プレイングマネージャーが「自分がやった方が早い」という罠から抜け出し、戦略的に仕事を任せる技術を身につけること。それは、単なる業務効率化の話にとどまりません。

仕事を任された部下は、「期待されている」という貢献実感を覚え、「できた」という達成感を得て、「次はもっとこうしてみよう」と創意工夫する自己表現の機会を手にし、その一連の経験を通じて成長を実感します。仕事が「楽しい」と感じる瞬間です。

このようなポジティブな循環がチーム内に生まれれば、メンバーは自律的に動き始め、組織全体のパフォーマンスは飛躍的に向上します。そして、育ったメンバーが次のリーダーとなり、さらに強い組織を創っていく。プレイングマネージャーの「仕事の任せ方」を変えることは、まさに、企業の持続的な成長のエンジンを創り出すことに他なりません。

もし、貴社において、プレイングマネージャーが孤軍奮闘し、チームが停滞していると感じていらっしゃるのであれば、それは変革の好機です。まずは、マネージャーの役割を見つめ直し、チームの力を最大限に引き出すための仕組みづくりについて、考えてみてはいかがでしょうか。その一歩が、貴社の未来を大きく変えることになるかもしれません。