はじめに:事業承継後の静かな危機
先代が築き上げた確かな事業基盤を引き継ぎ、会社をさらなる高みへと導く。その大きな期待を背負う二代目、三代目社長の皆様。その重責と日々向き合われていることに、心から敬意を表します。
多くの場合、事業承継時には、長年にわたり会社を支えてきた功労者であるベテラン営業社員が組織の中核を担っています。彼らの経験と人脈は、間違いなく会社の貴重な財産です。しかし、その一方で、このような言葉が社内で聞かれることはないでしょうか。
「昔はこのやり方でうまくいっていた」 「新しいツールはよくわからないし、必要ない」 「うちの顧客は特別だから、やり方は変えられない」
先代の時代には絶対的な強みであったはずの「伝統的な営業スタイル」が、いつしか変化を拒む壁となり、組織全体の停滞感を招いている。市場環境は刻一刻と変化しているのに、自社の営業活動だけが時が止まったかのようだ。社長として新たな施策を打ち出そうとしても、目に見えない抵抗に遭い、変革の一歩が踏み出せない。
このような状況に、孤独感や焦りを感じている経営者の方も少なくないのではないでしょうか。本コラムでは、新しい挑戦をためらうようになってしまった営業組織を、再び活性化させ、現代の市場で勝ち抜くための具体的な方法について、4つのステップで解説します。これは、精神論ではなく、組織を動かすための現実的なアプローチです。
なぜ、営業組織は新しい挑戦をしなくなるのか?
変革への第一歩は、現状を正しく認識することから始まります。なぜ、かつては意欲的だったはずの営業組織が、変化を恐れるようになってしまうのでしょうか。その原因は、決して社員個人の怠慢や意欲の欠如だけではありません。組織が抱える構造的な問題に目を向ける必要があります。
1. 過去の成功体験という「呪縛」 最も大きな要因は、過去の成功体験です。特に、長年にわたり同じ業界で成果を出し続けてきたベテラン社員ほど、その傾向は強くなります。彼らにとって、従来のやり方は「正解」そのものであり、それを変えることは自らの功績や存在価値を否定されるように感じられることさえあります。
しかし、顧客の購買行動は、この10年で劇的に変化しました。インターネットの普及により、顧客は営業担当者に会う前に、自ら情報を収集し、比較検討することが当たり前になっています。かつてのように、足しげく通い、人間関係を構築するだけの御用聞き営業では、情報力で勝る顧客の意思決定に影響を与えることは難しくなっています。市場の変化という客観的な事実を提示しても、「うちは特別だ」という思い込みが、変化への扉を固く閉ざしてしまうのです。
2. 変化に対する「心理的な抵抗」 人間は本能的に、未知のものを恐れ、現状維持を望む生き物です。新しい営業手法やデジタルツールの導入は、ベテラン社員にとって「これまで培ってきたスキルが無駄になるのではないか」「若い社員に劣ってしまうのではないか」という不安をかき立てます。
この心理的な抵抗を「やる気がない」と一蹴してしまうと、社員は心を閉ざし、変革への協力は得られません。彼らが感じているのは、怠慢ではなく「不安」であると理解し、その不安に寄り添う姿勢が経営者には求められます。
3. 新しい挑戦を評価しない「仕組み」の不在 多くの企業では、営業の評価は依然として「売上」や「契約件数」といった結果指標に偏りがちです。もちろん、最終的な成果は重要ですが、この評価制度だけでは、新しい挑戦は生まれにくくなります。
例えば、新規顧客の開拓は、既存顧客の維持に比べて時間も労力もかかり、すぐに結果が出るとは限りません。新しい営業ツールを習得する時間も必要です。もし、こうしたプロセスが一切評価されず、短期的な売上だけで判断されるのであれば、社員がリスクを取って新しいことに挑戦するよりも、確実な既存顧客からの売上を優先するのは当然の選択と言えるでしょう。挑戦しないことが、最も合理的な選択になってしまっているのです。
4. 経営と現場の「断絶」 社長が抱いている強い危機感が、現場の社員に正しく伝わっていないケースも少なくありません。「会社は安泰だ」と現場が思っている一方で、経営者は市場の変化に強い危機感を抱いている。この認識のズレが、変革のスピードを鈍らせます。
また、逆に現場が感じている課題(例:「競合は新しい提案をしてきている」「顧客の情報収集レベルが上がっている」)が、経営層に届いていないこともあります。風通しの良いコミュニケーションがなければ、組織は一体となって同じ方向を向くことができません。
これらの要因が複雑に絡み合い、「動かない営業組織」は作られていきます。では、この固着した状態を、どのようにして変えていけばよいのでしょうか。
ステップ1:現状の「可視化」と「共通言語」の創出
変革の出発点は、「なんとなく停滞している」という曖昧な感覚を、誰もが客観的に認識できる「事実」に変えることです。そのために有効なのが、データに基づいた現状の可視化です。
まずは、以下のような営業活動に関する基本的なデータを収集・分析し、全営業担当者と共有することから始めましょう。
- 商談化率: アポイントメントのうち、実際に商談に至った割合
- 成約率: 商談のうち、成約に至った割合
- 顧客単価: 一契約あたりの平均金額
- 新規顧客と既存顧客の売上比率: 会社の売上がどちらに依存しているか
- 営業担当者別の活動量と成果: 誰が、どのような活動で、どんな成果を上げているか
これらのデータをグラフなどで視覚的に示すことで、「昔のやり方でうまくいっている」という感覚的な主張に対して、客観的な事実を突きつけることができます。
例えば、「ベテランのAさんは、長年の付き合いがあるB社から安定した売上を上げている。しかし、新規顧客からの成約率は、ここ数年で入社した若手社員の方が高い」といった事実が見えてくるかもしれません。
重要なのは、このデータを使って誰かを吊し上げることではありません。目的は、「我々の組織は、今こういう状態にある」という共通認識を醸成することです。感情論や経験談ではなく、全員が同じデータを見て議論することで、初めて建設的な対話が始まります。データは、組織の課題を映し出す「鏡」であり、変革に向けた「共通言語」となるのです。
ステップ2:小さな「成功体験」を意図的に作る
現状認識が共有できたら、次はいきなり全社的な改革に乗り出すのではなく、小さな成功体験を意図的に作り出すことに注力します。大きな変化への抵抗が強い組織では、まずは「やってみたら、うまくいった」「新しいやり方でも成果は出せる」という事実を示すことが、何よりも効果的なのです。
具体的には、「パイロットチーム」を編成することをお勧めします。これは、新しい営業手法やツールを試験的に導入し、その効果を測定するための小規模な選抜チームです。
パイロットチーム成功のポイント
- メンバー選定: 意欲のある若手社員だけでなく、影響力のある中堅・ベテラン社員の中から、比較的前向きな人物を一人加えることが重要です。彼の成功が、他のベテラン社員への強力なメッセージとなります。
- 明確な目標設定: 「新しいツールを導入する」といった手段の目的化を避け、「3ヶ月で新規顧客からの問い合わせを20%増やす」のような、具体的で測定可能な目標を設定します。
- 経営者のコミットメント: パイロットチームの活動は、社長直轄のプロジェクトとして位置づけ、定期的に進捗を確認し、必要なリソース(時間、予算)を惜しまない姿勢を見せることが不可欠です。彼らが孤独に戦うことがないよう、経営者が強力なサポーターとなるのです。
このチームがたとえ小さな成果でも出すことができれば、それを全社に共有します。成功事例の共有会を開いたり、社内報で特集を組んだりするのも良いでしょう。
「〇〇チームが新しいアプローチを試した結果、これまで取引のなかった業界から大型受注を獲得した」 「新しいツールを使ったら、提案資料の作成時間が半分になり、顧客訪問の件数を増やせた」
こうした具体的な成功事例は、他の社員にとって「自分たちにもできるかもしれない」という希望となり、変化への抵抗感を和らげます。火をいきなり全体に広げようとせず、まずは小さな種火を作り、その熱を少しずつ伝播させていく。この地道なアプローチが、結果的に最も確実な変革へと繋がります。
ステップ3:行動を促す「仕組み」を再構築する
小さな成功体験によって変化への機運が高まってきたら、次はその動きを一過性のものに終わらせないための「仕組み」を構築します。個人の意欲や頑張りに依存するのではなく、新しい挑戦をした人が正当に評価され、報われるような制度やプロセスを設計することが重要です。
1. 評価制度の見直し 前述の通り、売上という結果指標だけでは、新しい挑戦は評価されません。そこで、「行動指標(プロセス評価)」を評価項目に加えることを検討しましょう。
- 行動指標の例:
- 新規顧客へのアプローチ数
- 新しい営業手法の実践回数
- 営業支援ツール(SFA/CRM)への活動入力率
- 顧客への新たな提供価値の提案件数
これらの行動を評価することで、会社がどのような動きを推奨しているのかという明確なメッセージを社員に伝えることができます。すぐに結果が出なくても、正しいプロセスを踏んでいる社員を評価することで、組織全体が徐々に新しい行動様式へとシフトしていきます。
2. 営業プロセスの「型化」 属人的な営業からの脱却も、重要な仕組み作りの一つです。優秀な営業担当者のスキルや知見は、その個人のものではなく、組織全体の資産として共有されるべきです。
具体的には、成果を上げている営業担当者の行動を分析し、アポイント獲得から、初回訪問、ヒアリング、提案、クロージングに至るまでの一連の流れを「標準的な型」として定義します。
この「型」を作ることには、多くのメリットがあります。
- 若手・中堅社員の早期戦力化: お手本となる型があることで、何をどの順番で学べばよいかが明確になり、成長スピードが加速します。
- ベテラン社員の知見の継承: 彼らの経験が、組織の財産として形式知化され、会社に残り続けます。これは、彼らの功績を称え、尊重する行為でもあります。
- 組織全体の営業力底上げ: 個人の能力のバラつきを減らし、組織全体の営業レベルを安定させることができます。
もちろん、この「型」は絶対的なものではなく、市場の変化に応じて常に改善していくべきものです。しかし、まずは基準となる型があることで、そこからの応用や改善の議論が可能になるのです。
ステップ4:「人」への投資と「対話」の文化を根付かせる
仕組みを整えるだけでは、組織は本当の意味で強くなりません。最終的にその仕組みを動かし、成果を出すのは「人」です。変化に柔軟に対応し、自ら考えて行動できる人材を育てることこそ、永続的な成長を実現するための最も確実な投資と言えるでしょう。
そのための有効なアプローチが、定期的な1on1ミーティングの導入です。
誤解されがちですが、1on1は上司が部下を管理・評価するための場ではありません。社員一人ひとりが抱える課題や悩み、キャリアに対する考えに耳を傾け、その成長を支援するための「対話」の場です。
1on1で対話すべきこと
- 日々の業務での成功体験や課題: 「今週、一番うまくいったことは?」「逆に、何に一番時間を使った?」といった問いかけから、現場のリアルな状況を把握します。
- スキルの向上やキャリアについての考え: 「今後、どんなスキルを身につけていきたい?」「将来的にはどんな仕事に挑戦したい?」といった対話を通じて、本人の成長意欲を引き出します。
- 会社や組織に対する意見や提案: 社員が感じている組織の課題や改善点を吸い上げる貴重な機会です。
社長や営業責任者が、たとえ短い時間でも定期的に社員と1対1で向き合う時間を作る。この行動そのものが、「会社は君のことを見ている」「君の成長を本気で応援している」という強力なメッセージになります。
自分の意見を聞いてもらえる、自分の成長を支援してもらえると感じた社員は、会社への信頼を深め、当事者意識を持つようになります。管理や指示命令だけでは生まれない、自律的な行動は、こうした地道な対話の積み重ねから生まれるのです。
変化を恐れていたベテラン社員も、1on1を通じて、新しいスキル習得が自らの市場価値を高めることに繋がると理解できれば、前向きな姿勢に変わる可能性があります。若手社員にとっては、自身のキャリアパスを考える良い機会となり、定着率の向上にも繋がるでしょう。
おわりに:変革の先にある、自走する組織の姿
ここまで、動かなくなった営業組織を再び活性化させるための4つのステップをご紹介しました。
- 現状の可視化と共通言語の創出
- 小さな成功体験の意図的な創出
- 行動を促す仕組みの再構築
- 人への投資と対話の文化の醸成
これらのステップを着実に実行していくことで、貴社の営業組織は少しずつ、しかし確実に変わり始めます。過去の成功体験に固執し、変化を恐れていた組織は、データに基づいて冷静に現状を分析し、新しい挑戦を恐れず、失敗から学び、成功体験を共有してチーム全体で強くなる集団へと変貌を遂げるでしょう。
社長が常に現場に張り付き、細かな指示を出さなくても、社員一人ひとりが自ら考え、行動し、成果を上げていく。そんな「自走する営業組織」が実現したとき、経営者であるあなたは、本来注力すべき未来の事業戦略や新たな価値創造に、より多くの時間とエネルギーを費やすことができるようになります。
事業承継後の変革は、決して平坦な道のりではありません。時には孤独を感じ、その歩みを止めたいと感じる瞬間もあるかもしれません。しかし、その困難な道のりを乗り越えた先には、先代が築いた基盤の上に、あなた自身の力で作り上げた、強くしなやかな組織が待っています。 もし、自社だけでの改革に限界を感じたり、何から手をつければ良いか分からなかったりする場合には、一度立ち止まり、客観的な視点を持つ外部の専門家の意見を聞いてみることも一つの有効な手段です。変革への第一歩を、今日から踏み出してみてはいかがでしょうか。