皆さんは、「温故知新(おんこちしん)」という言葉に、どのようなイメージをお持ちでしょうか。「昔のことをよく勉強して、新しい知識や考え方を見つけ出すこと」といった意味で理解されている方が多いかもしれません。どこか古風で、少し堅苦しい印象を受ける方もいらっしゃるかもしれませんね。
しかし、変化が激しく、先行きが不透明な現代のビジネス環境において、この「温故知新」のアプローチが、組織が持続的に成長するための非常に重要な考え方になっているとしたら、どうでしょうか。
「過去の成功体験は通用しない」「必要なのは新しい発想だ」という声が大きくなる一方で、私たちは本当に過去から学ぶべきことをすべて学び尽くしたのでしょうか。所詮古いものだと決めつけて、価値ある知恵や教訓を見過ごしてはいないでしょうか。
今回のコラムでは、「日本史」、特に多くのビジネスパーソンを魅了してやまない戦国時代の武将たちの生き方を例に取りながら、現代のビジネスに「温故知新」をどう活かしていくか、その具体的な方法について、わかりやすくお話ししていきたいと思います。
これは、単なる歴史の話ではありません。皆さまの会社の未来を創るための、実践的なヒントが詰まったお話です。
1.「新しいもの」だけを追いかけることの落とし穴
現代は、まさに情報の洪水時代です。次から次へと新しいビジネスモデル、マーケティング手法、テクノロジートレンドが生まれては消えていきます。SNSを眺めれば、誰もが「最新の」「画期的な」手法について語り、それに乗り遅れてはいけないと、私たちはどこか焦りを感じてしまいます。
もちろん、新しい情報や技術を学び、取り入れていく姿勢は非常に重要です。時代の変化に対応できなければ、企業が生き残っていくことは難しいでしょう。
しかし、新しいものばかりを追いかけることには、いくつかの落とし穴があります。
一つは、**「情報の多さに振り回され、本質を見失ってしまう」**ことです。たくさんの選択肢があるように見えて、実はどれも表面的で、自社の課題の根本的な解決にはつながらない、というケースは少なくありません。流行りのツールを導入してみたものの、使いこなせずに放置されてしまう、といった経験は、多くの企業であるのではないでしょうか。
もう一つは、**「自社の足元が見えなくなる」**ことです。他社の華々しい成功事例や、新しいトレンドにばかり気を取られ、自社がこれまで培ってきた強みや、大切にしてきた価値観、そして目の前にいる社員やお客様のことを見過ごしてしまう危険性があります。
一方で、これと正反対の落とし穴も存在します。それは、**「過去の成功体験に固執し、変化を拒んでしまう」**ことです。「昔はこのやり方でうまくいったんだ」という経験は、時として新しい挑戦への足かせになります。市場が変わり、顧客が変わり、働く人の価値観も変わっているのに、過去のやり方だけが正しいと信じ込んでは、やがて時代に取り残されてしまいます。
「新しさ」への過信と、「古さ」への固執。この両極端に陥らず、バランスを取りながら前に進むための考え方こそが、「温故知新」なのです。
「温故知新」とは、過去をただ懐かしんだり、昔のやり方をそのまま真似したりすることではありません。**過去の出来事や先人たちの知恵を深く学び、その中から時代を超えて通用する「原理原則」を見つけ出す。そして、その原理原則を、今の自分たちの状況に合わせて応用し、新しい価値を創造していく。**この一連のプロセスこそが、ビジネスにおける「温故知新」の本質です。
2.戦国武将に学ぶ「温故知新」の実践
では、具体的に歴史から何を学べるのでしょうか。ここでは、誰もが知る3人の戦国武将を例に、彼らの行動から現代のビジネスに活かせるヒントを探ってみましょう。
事例1:織田信長 ― 常識を疑い、本質を問い直す革新力
織田信長と聞けば、「革新者」「破壊者」といったイメージが強いかもしれません。確かに彼は、既得権益を打破し、それまでの常識を次々と覆していきました。例えば、「楽市楽座」によって商業を活性化させたり、「兵農分離」によって専門性の高い戦闘集団を作り上げたりしたことは有名です。
しかし、信長の行動をよく見ると、彼は決して闇雲にすべてを破壊したわけではありません。彼は、当時の社会や経済が抱えていた「根本的な課題」は何かを深く洞察し、その課題を解決するために最も効果的な手段は何かを考え抜いたのです。
当時の「座」という同業者組合は、本来は経済を安定させる仕組みでしたが、時代とともに自由な競争を阻害する足かせとなっていました。信長は、その「仕組み」がもたらす弊害という本質を見抜き、「楽市楽座」という新しいルールを作ることで、経済のポテンシャルを解放しました。
これを現代のビジネスに置き換えてみましょう。
- 「この会議、本当に必要だろうか?」
- 「業界の慣習だからと続けているこの報告書は、誰かの役に立っているのだろうか?」
- 「我々が『常識』だと思っている営業スタイルは、本当にお客様のためになっているのだろうか?」
信長に学ぶ「温故知新」とは、過去から続く「当たり前」を一度立ち止まって見つめ直し、その目的や本質を問い直す姿勢です。そして、もしその仕組みが現代の状況に合っていないのであれば、勇気をもって変えていく。信長の革新性は、こうした過去への深い理解と、本質を問う力の上に成り立っていたのです。
事例2:豊臣秀吉 ― 相手を理解し、心を動かす対話力
豊臣秀吉は、農民から天下人へと駆け上がった、まさに「人の心を掴む天才」でした。有名なエピソードに、寒い冬の日に信長の草履を懐で温めておき、信長が履くときに冷たくないように気遣ったという話があります。
この逸話が示すのは、彼の卓越した観察眼と相手への配慮です。彼は、相手が何を求めているのか、どうすれば喜ぶのかを常に見抜き、行動に移すことができました。身分や立場の違う様々な人間たちの心を掴み、巨大な組織をまとめ上げた彼の力の根源は、この**「人間に対する深い理解」**にあったと言えるでしょう。
これを現代のビジネス、特に組織運営や人材育成の観点から考えてみます。
上司が部下に対して、「なぜ、こんなこともできないんだ」「もっと主体的に動け」と一方的に指示や要求を突きつけるだけでは、部下の心は離れていくばかりです。秀吉が草履を温めたように、まずは相手の状況や気持ちを理解しようと努めることが、信頼関係の第一歩です。
- 「最近、何か困っていることはないか?」
- 「この仕事、君はどう思う?」
- 「君の強みは、こういうところだと思うんだけど、それを活かせる仕事に挑戦してみないか?」
こうした一人ひとりに寄り添うコミュニケーションは、まさに現代で重要視されている**「1on1ミーティング」の精神**そのものです。上司が部下の話に真剣に耳を傾け、その人の状況やキャリアプランを理解し、成長をサポートする。こうした地道な対話の積み重ねが、社員のエンゲージメントを高め、自律的に動ける人材を育てていきます。
秀吉の「人たらし」と言われた才能は、決して特殊な能力ではありません。相手を深く知ろうとし、心からの配慮を示すという、普遍的なコミュニケーションの原理に基づいています。この「故(ふる)き」教えは、人と人とが働く現代の組織においてこそ、「新しき」価値を生み出すのです。
事例3:徳川家康 ― 長期的な視点で、持続可能な仕組みを作る構想力
織田信長が「破壊と創造」の天才なら、豊臣秀吉は「人心掌握」の天才。そして、最後に天下を統一し、260年以上続く平和な江戸時代を築いた徳川家康は、**「仕組みづくりの天才」**と言えるでしょう。
彼は、目先の戦いに勝つことだけを考えていたわけではありません。いかにして、この平和な状態を「持続」させるか。そのための組織や社会の仕組みを、非常に長期的な視点で設計しました。参勤交代や幕藩体制といった制度は、各地の大名を巧みにコントロールし、長期的な安定をもたらすための優れた発明でした。
家康の性格を表すと有名な句「鳴かぬなら鳴くまで待とう時鳥(ほととぎす)」は、彼の忍耐強さを象徴していますが、これは同時に、短期的な成果に一喜一憂せず、じっくりと時間をかけてでも、最終的な目標を達成するための最適な環境と仕組みを整えるという、彼の戦略思想を表しています。
これを現代の企業経営に当てはめてみましょう。
多くの企業が、四半期ごとの業績や短期的な売上目標に追われています。もちろん、それも重要ですが、それだけでは組織は疲弊し、持続的な成長は望めません。
- 今の営業手法は、来年、再来年も通用するだろうか?
- エース社員一人の活躍に頼るのではなく、チーム全体で成果を出し続けるためには、どのような仕組みが必要だろうか?
- 新入社員が数年後に中核人材として活躍できるように、どのような育成プランを用意すべきだろうか?
家康に学ぶ「温故知新」とは、目先の利益だけでなく、5年後、10年後の会社の姿を見据え、そのために必要な「仕組み」や「人材育成」に今から投資するという長期的な視点です。特定の個人の能力に依存するのではなく、誰もが一定の成果を出せるような営業の「型」を作ったり、社員が着実に成長できるような教育制度を整えたりすること。これこそが、変化の激しい時代を乗り越え、持続可能な成長を実現する組織の土台となるのです。
3.あなたの組織で「温故知新」を実践する3つのステップ
ここまで、歴史を例に「温故知新」の重要性をお話ししてきました。では、実際に皆さまの組織でこの考え方を実践していくには、どうすれば良いのでしょうか。ここでは、具体的な3つのステップに分けてご紹介します。
ステップ1:【知る】― 過去の成功と失敗を「共有財産」にする
まずは、自社や自分たちがこれまで何をやってきたのかを、きちんと「知る」ことから始めます。
多くの組織では、過去の成功事例や失敗事例が、担当者個人の経験談として埋もれてしまっています。これでは、組織としての学びにつながりません。
- 過去のプロジェクト報告書や議事録を整理し、誰もが閲覧できる場所に保管する。
- 社内勉強会などで、ベテラン社員が過去の大きな成功体験や、手痛い失敗談を語る機会を設ける。
- 業界の歴史や、競合他社の過去の取り組みについて学び、レポートを共有する。
大切なのは、過去を「良かった」「悪かった」で終わらせるのではなく、「なぜ、そうなったのか?」という背景やプロセスまで含めて、組織の共有財産にしていくという意識です。過去の事例は、未来の意思決定を助けてくれる、貴重なデータベースなのです。
ステップ2:【考える】― 原理原則を見出し、現代に応用する
次に、集めた過去の情報を元に、その本質を「考える」ステップです。
例えば、過去の営業の成功事例を分析する際に、「Aという商品をBというトークで売ったら成功した」という表面的な事実(What)だけを見ていては、応用が利きません。
- 「なぜ、そのトークはお客様に響いたのか?」(お客様が抱えていた根本的な課題は何か?)
- 「なぜ、その商品はそのお客様に受け入れられたのか?」(商品の価値とお客様のニーズがどう合致したのか?)
- 「その成功の背景には、どのような市場環境やタイミングの良さがあったのか?」
このように「なぜ?(Why?)」を繰り返し問いかけることで、その成功の裏にある**時代を超えて通用する「原理原則」**が見えてきます。「お客様の潜在的な不安を解消する提案が信頼を生んだ」とか、「競合が見過ごしていた特定のニーズに応えたことが勝因だった」といったような、より本質的な成功要因です。
この原理原則を掴むことができれば、扱う商品やお客様、時代が変わっても、それを応用して新しい成功パターンを生み出すことができます。これが、「故きを温ねて新しきを知る」ということです。
ステップ3:【試す】― 小さな挑戦を奨励し、対話で育てる
最後は、考え出した新しいアイデアを、実際に「試す」ステップです。
「温故知新」は、頭の中だけで完結するものではありません。過去から学んだ原理原則を元に、「今の状況なら、こうすればもっと良くなるのではないか?」という仮説を立て、行動に移してこそ意味があります。
ここで重要になるのが、**「失敗を恐れずに挑戦できる組織文化」**です。新しい試みが、最初からうまくいくとは限りません。しかし、その失敗からもまた学び、次の挑戦に活かしていく。このサイクルを回し続けることが、組織を強くします。
そして、この挑戦を支えるのが、**上司と部下の継続的な「対話」**です。
例えば、部下が過去の事例からヒントを得て、「新しいアプローチを試してみたいです」と提案してきたとします。その時、上司が「前例がないからダメだ」「失敗したらどうするんだ」と頭ごなしに否定してしまっては、挑戦の芽は摘まれてしまいます。
そうではなく、**1on1のような場で、「面白いアイデアだね。なぜそう考えたの?」「どんなリスクが考えられるかな?」「もし失敗したとしても、そこから何が学べるだろう?」と一緒に考え、部下の挑戦を後押しする。**こうした対話を通じて、部下は安心して新しい一歩を踏み出すことができます。
上司は、自分の過去の経験を語り、部下の学びを深める手助けをすることもできます。部下は、過去の知恵と上司からのフィードバックを元に、より精度の高い挑戦をすることができます。
このように、**【知る→考える→試す】**のサイクルを、組織全体で、そして上司と部下の対話を通じて回していくこと。これこそが、現代の組織における「温故知新」の実践的な姿なのです。
まとめ:未来は、過去との対話から生まれる
今回は、「温故知新」という言葉をテーマに、変化の時代を生き抜くためのビジネスのヒントについてお話ししてきました。
「温故知新」とは、決して古いものを盲信する懐古主義ではありません。また、過去の成功体験に縛られることでもありません。
過去の膨大な経験や知恵という土壌にしっかりと根を張り、そこから普遍的な原理原則という養分を吸い上げ、現代の太陽の光を浴びて、未来に向けた新しい花を咲かせる。 これが、私たちが目指すべき「温故知新」の姿です。
新しい情報やトレンドを追いかけることは大切です。しかし、それと同時に、少し立ち止まって、自分たちの足元にある過去の資産に目を向けてみてはいかがでしょうか。
皆さまの会社がこれまで歩んできた道のり。成功の記憶も、苦い失敗の経験も、そのすべてが未来を切り拓くための貴重なヒントに満ちています。そして、そのヒントを組織の力に変えていくためには、社員一人ひとりが学び、考え、挑戦し、そしてお互いに対話することが欠かせません。
まずは、社内の誰かと、「そういえば、あの時のプロジェクトってどうしてうまくいったんだっけ?」と、過去について語り合うことから始めてみてください。きっとそこから、新しい未来への第一歩が見つかるはずです。