「よし、今期はこの新しい営業戦略でいくぞ!全員、今日から動き出せ!」
リーダーの力強い号令のもと、チームは一丸となって新しい取り組みの準備を始めました。資料を作成し、顧客リストを整備し、行動計画を立てる…。しかし、わずか数週間後、社員がようやく新しいやり方に慣れてきた頃に、リーダーはまた別の会議でこう言います。
「先日の戦略だが、やはり市場の反応が鈍いようだ。もっとインパクトのある、こちらの新しい手法に切り替えよう。急いでくれ!」
現場の社員は顔を見合わせます。「え…まだ始めたばかりで、結果なんて出ていないのに?」「この前作った資料やリスト、全部やり直しか…」「そもそも、前の戦略の何がダメだったんだろう?」。
こんな光景が、あなたの会社で繰り広げられてはいないでしょうか。良かれと思って次々と新しい手を打っているつもりが、結果が出る前に方針を変え、何が正しかったのかを検証する機会すら与えない。 この「検証なき方針転換」こそが、社員の心を静かに蝕み、組織の成長力を根こそぎ奪っていく、最も危険な経営習慣の一つなのです。
今回のコラムでは、なぜリーダーは結果が出るまで待てないのか、そしてその行動が組織にどのような破壊的な影響をもたらすのかを徹底的に解剖し、社員の信頼を勝ち取り、着実に成長する組織を作るための具体的な方法をお伝えします。
1. なぜリーダーは「結果が出るまで待てない」のか?
社員から見れば理解不能な、性急な方針転換。しかし、これを行うリーダー自身は、会社を良くしたいという善意と強い責任感から行動していることがほとんどです。その背景には、経営者が陥りがちな3つの心理状態があります。
心理1:短期的な成果への強いプレッシャー
経営者は常に結果を求められます。売上、利益、市場シェア…。こうした数字へのプレッシャーから、「一日でも早く成果を出さなければ」という焦りが生まれます。その焦りが、「じっくり待つ」という選択肢を奪い、即効性がありそうに見える新しい情報や手法に飛びつかせてしまうのです。始めた施策からすぐに目に見える結果が出ないと、「このやり方は間違っていたのかもしれない」と不安になり、まだ芽が出る前の種を掘り返して、新しい種を蒔くという行動を繰り返してしまいます。
心理2:「打ち手を打つこと」自体が仕事になっている
特に、自ら事業を引っ張ってきたワンマン型のリーダーに多いのが、このケースです。「常に新しい指示を出し、会社を動かしている」という状態でないと、仕事をしていないような気分になってしまうのです。現場が一つの施策にじっくり取り組んでいる期間は、リーダーにとっては「停滞」のように感じられ、何か新しい手を打つことで自らの存在価値を確認しようとします。その結果、現場の状況とは無関係に、リーダーの自己満足のための“思いつき”の方針転換が頻発することになります。
心理3:失敗を認めたくないというプライド
一度「これでいく!」と宣言した手前、もしその施策がうまくいかなかった場合に「自分の判断が間違っていた」と認めることへの抵抗感が、無意識に働いていることもあります。そこで、施策の成否が明確になる「前」に、「もっと良い方法が見つかったから」という理由で方針転換をしてしまうのです。これは、明確な「失敗」という結果と向き合うことを避け、常に「より良い判断をした自分」を演出しようとする、一種の防衛本能とも言えます。
2. 「検証なき方針転換」がもたらす、3つの組織崩壊プロセス
理由はどうであれ、結果を待たずに方針がコロコロ変わる組織は、致命的な問題を抱えることになります。それは単に「現場が混乱する」というレベルの話ではありません。組織の根幹である「学習能力」と「信頼関係」が、完全に破壊されてしまうのです。
プロセス1:現場の疲弊と「やり遂げられない」カルチャーの醸成
方針が変わるたびに、現場の努力はリセットされます。時間と情熱をかけて作ったものが、一夜にして無価値になる。この経験を繰り返すうち、社員の心には**「どうせ頑張っても無駄になる」**という強烈な徒労感が刻み込まれます。
一つのことを最後までやり遂げ、その成果を分かち合うという達成感を得る機会がないため、仕事への誇りや喜びは失われます。そして、組織全体に「何事も中途半端で終わる」「やり遂げられない」という、敗北主義的なカルチャーが定着してしまうのです。社員は次第に、新しい指示に対しても「どうせまた変わるから」と、最初から全力を出さなくなります。
プロセス2:組織の「学習能力」の完全な喪失
これが最も深刻な問題です。ビジネスにおける成長とは、**「仮説→実行→検証→改善」**というサイクルを回し続けることで達成されます。しかし、方針がコロコロ変わる組織では、「検証」のプロセスがごっそり抜け落ちてしまいます。
- あの営業戦略は、なぜうまくいかなかったのか?ターゲットが違ったのか、アプローチが悪かったのか?
- 先月のキャンペーンは、なぜ目標を達成できたのか?広告のどのコピーが響いたのか?
こうした分析が一切行われないため、成功からも失敗からも学ぶことができません。結果として、組織にノウハウが全く蓄積されないのです。まるで穴の空いたバケツのように、いくら努力を注ぎ込んでも、経験という財産がすべて流れ出ていってしまう。そして、数年経っても同じようなレベルの失敗を繰り返し、全く成長できない「学習しない組織」が出来上がります。
プロセス3:データよりも「鶴の一声」が通る文化の定着
検証が行われないということは、データや事実に基づいて議論する文化がない、ということです。組織の意思決定は、リーダーのその時々の気分や思いつき、いわゆる**「鶴の一声」**がすべてになってしまいます。
こうなると、論理的思考力を持つ優秀な社員ほど、やる気をなくします。彼らがどれだけ市場を分析し、データを集めて合理的な提案をしても、「いや、俺はこっちの方がいいと思う」というリーダーの感覚一つで覆されてしまうからです。
やがて社員は、「データを集めても無駄」「ロジカルに考えても無意味」と、建設的な提案をすることを諦めます。会議はリーダーの顔色をうかがうだけの場となり、組織は健全な判断能力を失い、極めてリスクの高い経営状態に陥ってしまうのです。
3. 「待つ勇気」を持つリーダーになるための、具体的な処方箋
では、この負のスパイラルから抜け出し、組織に「学習」と「成長」のサイクルを取り戻すには、どうすればいいのでしょうか。必要なのは、リーダーが「待つ勇気」を持ち、それを仕組みとして組織に導入することです。
ステップ1:「宣言」から始める仮説検証サイクル
新しい施策を始める前に、思いつきで号令をかけるのをやめましょう。代わりに、まず以下の4つの項目を明確にし、チーム全員に「宣言」するのです。
- 目的(Goal): この施策で、最終的に何を達成したいのか?(例:新規顧客からの売上を〇%向上させる)
- 仮説(Hypothesis): なぜ、この施策がその目的に有効だと考えるのか?(例:「〇〇という課題を持つ顧客層に、このアプローチが響くはずだ」という仮説)
- 期間(Time): いつまで、この施策をやり続けるのか?(例:3ヶ月間)
- 判断基準(KPI): 期間が来た時に、何をもって「成功」「失敗」を判断するのか?(例:期間中の商談化率が〇%以上なら成功とみなす)
そして、最も重要な約束をします。 「この3ヶ月間は、よほどの天変地異がない限り、この大方針は変えない。細かな戦術の修正は行うが、この実験を途中で中止することはない」 この「宣言」こそが、リーダーのブレを防ぎ、社員に安心して取り組むための土台を与えるのです。
ステップ2:「実験」と捉え、失敗を恐れない文化を作る
「宣言」した施策は、「絶対に成功させなければならないもの」ではなく、あくまで**「仮説を検証するための実験」**と位置づけましょう。
3ヶ月後、もし判断基準(KPI)に届かなかったとしても、それは「失敗」ではありません。「『〇〇というアプローチは響かない』ということが分かった」という、貴重な**「学び」**なのです。リーダー自らが「良い実験だったな。この学びを次にどう活かそうか?」という姿勢を見せることで、社員は失敗を恐れずに挑戦できるようになります。検証して次に活かせば、それは失敗ではなく、成功への一歩なのです。
ステップ3:1on1を「学び」を深めるための定点観測の場にする
実験期間中、リーダーはどっしりと構えて「待つ」ことが仕事です。しかし、ただ待っているだけではありません。1on1ミーティングなどを通じて、現場で起きていることを定点観測するのです。
「実験をやってみて、お客様の反応はどう?」 「仮説と違う動きをしているところはある?」 「何か気づいたことや、やりにくいことはない?」
こうした対話で現場のリアルな情報を吸い上げることで、最後の「検証」の精度が格段に上がります。なぜうまくいったのか、なぜうまくいかなかったのか、その原因をデータと現場感覚の両面から深く理解することができるのです。これは、次の「仮説」を立てる上で、何よりの財産となります。
まとめ:リーダーの本当の仕事とは
リーダーの仕事は、百発百中の神がかった采配を振ることではありません。そんなことは誰にも不可能です。 リーダーの本当の仕事とは、組織が自律的に学び、成長し続けられる「実験と検証のサイクル」を回すための環境を整え、それを守り抜くことです。
そのためには、時に「待つ」という、経営者にとって最も勇気がいる行動が求められます。すぐに結果が出なくても焦らず、一度決めた実験を最後までやり遂げさせる。そして、その結果からチーム全員で学び、次の挑戦に進む。
このサイクルが回り始めた時、あなたの会社は単なる指示待ち集団から、自ら考えて行動する「学習する組織」へと生まれ変わります。社員は自分の努力が学びと成長に繋がることを実感し、信頼と活気を取り戻すでしょう。
まずは、次の新しい指示を出す前に、一度立ち止まってみてください。そして、「目的・仮説・期間・判断基準」を紙に書き出し、それを社員に「宣言」することから始めてみてはいかがでしょうか。その小さな一歩が、あなたの会社を、持続的に成長する強い組織へと変える、大きな転換点になるはずです。