はじめに:時代を超える西郷隆盛の叡智
激動の幕末から明治維新にかけて、日本の近代化を力強く牽引した指導者の一人、西郷隆盛。その名は、歴史上の偉人としてだけでなく、組織を率いるリーダーとしてのあり方を示す数々の名言とともに、現代を生きる私たちにも多くの示唆を与えてくれます。
中でも、**「功ある者には禄を与えよ、徳ある者には地位を与えよ」**という言葉は、組織における人材登用や評価の本質を鋭く突いたものとして、今もなお多くの経営者やリーダーたちの指針となっています。
この言葉は、文字通り解釈すれば、「功績を上げた者には相応の報酬(禄)を与え、人間的に優れた者(徳のある者)には相応の地位・役職を与えるべきだ」という意味になります。そして、その裏には、「たとえ功績が大きくとも、人徳のない者に重要な地位を与えてはならない」という強い戒めが込められていると読み取れます。
現代社会は、変化のスピードが速く、先行き不透明な「VUCAの時代」とも言われます。このような時代において、企業が持続的に成長し、社会に貢献し続けるためには、いかなる人材を評価し、登用していくべきなのでしょうか。
本コラムでは、西郷隆盛のこの言葉を深掘りし、現代の企業経営や組織運営において、それがどのような意味を持ち、どのように活かしていくべきなのかを、皆様と共に考えていきたいと思います。これは単なる歴史の教訓ではなく、現代の組織が直面する課題を解決し、未来を切り拓くための普遍的な知恵と言えるでしょう。
第1章:「功ある者」とは誰か?~現代ビジネスにおける「功績」の多面性~
まず、西郷の言う「功ある者」とは、現代のビジネスシーンにおいてどのような人物を指すのでしょうか。
一般的に「功績」と聞くと、売上目標の達成、利益の拡大、新規顧客の獲得といった、数値化しやすい業績をイメージする方が多いかもしれません。確かにこれらは企業活動において非常に重要な「功績」であり、正当に評価されるべきものです。成果主義が浸透する現代において、これらの定量的な成果は、個人の能力や努力を測る上で分かりやすい指標となります。
しかし、現代のビジネスにおける「功績」は、それだけにとどまりません。
例えば、以下のような貢献もまた、組織にとって価値ある「功績」と言えるでしょう。
- イノベーションの推進: 新しい技術やアイデアを生み出し、新商品や新サービスの開発に貢献する。既存のビジネスモデルを変革し、新たな市場を切り拓く。
- 業務プロセスの改善: 非効率な業務を見直し、生産性向上やコスト削減を実現する。DX(デジタルトランスフォーメーション)を推進し、組織全体の効率を高める。
- チームワークへの貢献: メンバー間の連携を促進し、チーム全体のパフォーマンスを最大化する。困難な状況でもチームを鼓舞し、目標達成に導く。
- ナレッジの共有と人材育成: 自身の持つ知識や経験を積極的に共有し、後進の育成に尽力する。組織全体の知識レベルの底上げに貢献する。
- 顧客満足度の向上: 顧客の期待を超えるサービスを提供し、高い顧客満足度とロイヤルティを獲得する。長期的な顧客との信頼関係を構築する。
- 企業文化の醸成: 企業の理念や価値観を体現し、周囲に良い影響を与える。ポジティブで建設的な職場環境づくりに貢献する。
- 危機管理と問題解決: 予期せぬトラブルや困難な課題に対し、冷静かつ的確に対応し、被害を最小限に食い止める。
これらの「功績」の中には、短期的な数値目標としては現れにくいものや、直接的な利益貢献としては見えづらいものも含まれます。しかし、これらが組織の持続的な成長や競争力の強化にとって不可欠であることは論を俟ちません。
成果主義を追求するあまり、短期的な数値目標ばかりに焦点が当たり、これらの「見えにくい功績」や「長期的な貢献」が見過ごされてしまうと、組織は徐々に活力を失っていく可能性があります。例えば、目先の数字を追うことに必死になるあまり、新しい挑戦を恐れたり、チーム内の協力関係が希薄になったり、顧客との長期的な関係構築がおろそかになったりするかもしれません。
したがって、「功ある者」を正しく見極めるためには、定量的な成果だけでなく、定性的な貢献も含めた多面的な視点から評価することが不可欠です。そして、その評価基準は、組織の理念や戦略と整合性が取れている必要があります。どのような行動や成果が組織にとって真に価値があるのかを明確にし、それを評価制度に反映させることが、社員のモチベーションを高め、組織全体の力を引き出す上で極めて重要となるのです。
第2章:「禄を与える」とは何か?~金銭だけではない報酬のカタチ~
次に、「功ある者には禄を与えよ」という部分について考えてみましょう。「禄」とは、現代で言えば「報酬」に当たります。
「報酬」と聞いてまず思い浮かぶのは、給与、賞与、インセンティブといった金銭的な報酬でしょう。これらは生活の基盤であり、労働の対価として非常に重要な要素です。功績を上げた社員に対して、適切な金銭的報酬で報いることは、企業の当然の責務であり、社員のモチベーションを維持・向上させる上で不可欠です。
しかし、西郷の言う「禄」は、果たして金銭的なものだけを指しているのでしょうか。現代の働く人々の価値観は多様化しており、金銭的報酬だけで満足感や働きがいを得られるとは限りません。むしろ、非金銭的な報酬の重要性がますます高まっています。
では、金銭以外の「禄」とは、具体的にどのようなものが考えられるでしょうか。
- 成長の機会: 新しいプロジェクトへの挑戦、より責任のある業務へのアサイン、研修やセミナーへの参加支援、資格取得の奨励など、個人のスキルアップやキャリアアップにつながる機会の提供。
- 裁量権の付与: 一定の範囲内で自らの判断で仕事を進められる自由や権限を与えること。マイクロマネジメントを避け、主体性や創造性を尊重する。
- 承認と称賛: 成果や貢献を正当に評価し、上司や同僚、会社全体から認められること。表彰制度の導入や、日々の感謝の言葉、フィードバックなども含まれる。
- 魅力的な労働環境: 快適で安全なオフィス環境、柔軟な働き方(リモートワーク、フレックスタイム制など)、ワークライフバランスへの配慮。
- 良好な人間関係: 互いに尊敬し合い、協力し合える風通しの良い職場。信頼できる上司や同僚の存在。
- 働きがいと社会貢献の実感: 自分の仕事が社会の役に立っている、組織の目標達成に貢献しているという実感。企業のパーパス(存在意義)への共感。
- キャリアパスの提示: 将来のキャリアの見通しを示し、長期的な視点での成長をサポートする。
これらの非金銭的報酬は、社員のエンゲージメント(組織への愛着や貢献意欲)を高め、創造性や生産性の向上、ひいては離職率の低下にもつながると言われています。特に若い世代を中心に、「自己成長」や「社会貢献」といった価値観を重視する傾向が強まっている現代において、企業は金銭的報酬と非金銭的報酬をバランス良く提供していく必要があります。
重要なのは、**報酬の「公平性」と「納得感」**です。どのような基準で評価され、どのような報酬が与えられるのかが明確で、社員一人ひとりがその決定プロセスに納得できることが、モチベーションを維持する上で極めて重要です。透明性の高い評価制度を構築し、社員との丁寧なコミュニケーションを通じて、報酬に対する理解と信頼を醸成していく努力が求められます。
「禄を与える」という行為は、単に社員の労に報いるだけでなく、彼らのさらなる成長を促し、組織への貢献意欲を高めるための投資でもあるのです。
第3章:「徳ある者」とは誰か?~現代のリーダーに不可欠な人間力~
さて、いよいよ本題の核心とも言える「徳ある者には地位を与えよ」という部分に焦点を当てていきましょう。ここで言う「徳」とは、一体何を指すのでしょうか。
「徳」とは、辞書的には「人としての正しい行いや品性」「人々に良い影響を与える精神的な力」などと説明されます。道徳性、倫理観、人間的魅力といった言葉に置き換えることもできるでしょう。それは、単に知識が豊富であるとか、仕事ができるといった能力面だけでなく、その人のあり方、人間性に関わるものです。
現代のリーダーに求められる「徳」とは、具体的にどのような要素で構成されるのでしょうか。いくつか例を挙げてみましょう。
- 誠実さ(Integrity): 嘘をつかず、ごまかさず、約束を守る。常に言行一致を心がけ、誰に対しても公正であること。自分の過ちを認める勇気も含む。
- 謙虚さ(Humility): 自分の能力や功績を過信せず、他者の意見に真摯に耳を傾ける姿勢。常に学び続けようとする意欲。
- 利他性(Altruism): 自分の利益よりも、他者やチーム全体の利益を優先して考える。他者の成功を心から喜び、支援を惜しまない。
- 責任感(Responsibility): 与えられた役割や任務を最後までやり遂げる意志。困難な状況でも逃げずに立ち向かい、結果に対する責任を負う覚悟。
- 共感力(Empathy): 他者の感情や立場を理解し、寄り添うことができる能力。部下の悩みや不安を敏感に察知し、サポートする。
- 公平性(Fairness): 個人的な感情や偏見に左右されず、すべての人に対して公平かつ客観的な判断を下すこと。
- 勇気(Courage): 正しいと信じることを貫く勇気。時には困難な決断を下し、リスクを取ることも厭わない。
- 寛容性(Tolerance): 自分と異なる意見や価値観を持つ人々を受け入れ、尊重する姿勢。多様性を力に変える。
- 自律(Self-discipline): 感情や欲求をコントロールし、目標達成に向けて自身を律することができる。
これらの「徳」を備えたリーダーは、周囲の人々から自然と信頼され、尊敬を集めます。彼らの言動は、部下にとって模範となり、組織全体の倫理観や行動規範を高める力を持っています。
「徳」のあるリーダーがいる組織では、以下のようなポジティブな効果が期待できます。
- 心理的安全性の向上: リーダーが公正で受容的であれば、部下は安心して自分の意見を述べたり、新しいことに挑戦したりできます。
- オープンなコミュニケーションの促進: 信頼関係が基盤となるため、建設的な議論や活発な情報共有が行われやすくなります。
- 従業員エンゲージメントの向上: 尊敬できるリーダーのもとで働くことは、社員の誇りや組織への愛着心を育みます。
- 倫理的な企業文化の醸成: リーダーの「徳」が組織全体に浸透することで、不正やハラスメントが起こりにくい、健全な企業文化が育まれます。
- 困難な状況での結束力: 危機的な状況に直面した際も、「徳」のあるリーダーのもとでは、組織が一丸となって乗り越えようとする力が働きます。
ここで重要なのは、「徳」は決して生まれ持った才能だけではないということです。もちろん、先天的な気質も影響するかもしれませんが、「徳」は日々の意識や行動、経験を通じて、後天的に磨かれ、高めていくことができるものです。自己省察を怠らず、他者から学び、様々な経験を積む中で、人間性は深まっていくのです。
企業が「徳ある者」を育成し、見出すためには、スキルや知識だけでなく、このような人間的な側面にも目を向け、評価し、育む仕組みが求められます。
第4章:「地位を与える」とは何か?~権限と責任を託す意味~
西郷は「徳ある者には地位を与えよ」と説きました。ここで言う「地位」とは、現代の組織における役職やポジションを指します。部長、課長、チームリーダーといった肩書は、その人に一定の権限と責任を与えることを意味します。
しかし、現代における「地位」は、従来のピラミッド型の階層構造における役職だけを指すわけではありません。プロジェクトベースで仕事が進むことが多い現代では、プロジェクトリーダーや特定の専門分野における権威者、あるいは若手社員の指導・育成を担うメンターといった役割も、一種の「影響力のある地位」と捉えることができます。
では、なぜ「徳ある者」にこそ、このような「地位」を与えるべきなのでしょうか。それは、地位には権限が伴い、その権限の行使の仕方が組織に大きな影響を与えるからです。
「徳」のない人物、例えば自己中心的で、他者を尊重せず、短期的な利益ばかりを追い求めるような人物に高い地位と大きな権限を与えてしまうと、どのような事態が起こりうるでしょうか。
- 権限の濫用: 部下を不当に扱ったり、私利私欲のために権限を使ったりする可能性があります。
- 組織の私物化: 自分のお気に入りの人物ばかりを優遇し、公平な人事が行われなくなるかもしれません。
- 部下の不信とモチベーション低下: リーダーに対する信頼が失われれば、部下は安心して働くことができず、組織全体の士気が低下します。
- 不正行為のリスク増大: 倫理観の欠如したリーダーは、不正行為に手を染めることへの抵抗感が薄いかもしれません。
- 短期的な成果と引き換えに長期的な組織力を損なう: 目先の数字を達成するために無理な要求をしたり、将来への投資を怠ったりする可能性があります。
これらは、まさに西郷が「功績があっても徳のない者には地位を与えるな」と警鐘を鳴らした理由でしょう。地位と権限は、それを正しく行使できるだけの人間性、すなわち「徳」を持つ人物に託されてこそ、組織全体の利益と発展に貢献するのです。
「徳ある者」に地位を与えることの意義は、以下のようにまとめられます。
- 権限の適切な行使: 公平性、誠実さをもって権限を行使し、組織全体の利益を最大化しようと努めます。
- 部下の育成とエンパワーメント: 部下の成長を心から願い、彼らが能力を発揮できるようにサポートし、権限を委譲します。
- 倫理的な意思決定: 短期的な利益や個人的な感情に流されず、長期的かつ倫理的な観点から正しい判断を下します。
- 組織文化の向上: リーダー自身の行動が模範となり、組織全体にポジティブな影響を与え、健全な企業文化を育みます。
- 危機管理能力: 困難な状況や倫理的なジレンマに直面した際にも、私心を捨て、組織の価値観に基づいた適切な対応をとることができます。
つまり、「地位を与える」という行為は、単に優秀な個人を昇進させるということではなく、その人物の「徳」を通じて、組織全体をより良い方向へ導くための重要な戦略なのです。
第5章:「功ある者」に「徳」がない場合の深刻な問題点
西郷隆盛の言葉を裏返せば、「功績は目覚ましいが、人徳に欠ける人物に重要な地位を与えてはならない」という強いメッセージが読み取れます。これは現代の組織運営においても、非常に重要な示唆を含んでいます。
短期的に高い成果を上げる能力はあっても、人間性に問題のあるリーダーが組織に及ぼす負の影響は、想像以上に深刻です。具体的にどのような問題が生じうるのか、見ていきましょう。
- ハラスメントの温床となるリスク: 「徳」に欠けるリーダーは、部下の人格を尊重せず、高圧的な態度をとったり、不適切な言動を繰り返したりする可能性があります。パワーハラスメントやセクシャルハラスメントなどが発生しやすい環境となり、被害者は心身に深い傷を負い、組織全体の雰囲気も悪化します。
- 不正行為やコンプライアンス違反の誘発: 自己の利益を優先し、倫理観が低いリーダーは、業績達成のためなら手段を選ばないという思考に陥りがちです。データの改ざん、不正会計、顧客情報の不正利用といったコンプライアンス違反を引き起こし、企業の社会的信用を著しく損なう可能性があります。
- 短期的な成果至上主義による弊害: 長期的な視点や組織全体の調和を欠き、目先の数字や個人的な手柄を追い求める傾向があります。その結果、無理な目標設定、過度なプレッシャー、部下の疲弊、将来への投資の軽視などを招き、組織の持続的な成長力を蝕みます。
- 部下のモチベーション著しい低下と離職: リーダーに対する不信感や不満は、部下の働く意欲を大きく削ぎます。自分の成長が期待できない、正当に評価されない、人間として尊重されないと感じれば、優秀な人材ほど早期に組織を見限り、離れていってしまいます。これは、採用コストや育成コストの損失だけでなく、組織のノウハウ流出にもつながります。
- チームワークの崩壊と組織内対立: 公平性に欠ける評価や、特定の人材への偏重は、チーム内に不公平感や妬みを生み出し、協力関係を破壊します。派閥争いや足の引っ張り合いが横行し、組織としての一体感が失われ、生産性が大きく低下します。
- 企業文化の悪化とブランドイメージの失墜: 「徳」のないリーダーの言動は、徐々に組織全体の文化に悪影響を及ぼします。「成果さえ出せば何をしても許される」といった誤った価値観が蔓延し、倫理観の低い組織風土が形成されてしまう可能性があります。これは、顧客や社会からの信頼を失い、企業ブランドのイメージ低下に直結します。
歴史を振り返っても、あるいは現代のニュースを見ても、一時的に大きな成功を収めたものの、リーダーの倫理観の欠如や強引な手法が原因で、最終的に組織が傾いたり、社会的な批判を浴びたりするケースは枚挙にいとまがありません。
これらの問題は、単に個々のリーダーの資質の問題として片付けられるものではありません。そのような人物を重要な地位に登用してしまった組織側の任命責任、そしてそのような登用を許容してしまう企業文化や評価制度にも問題があると言えるでしょう。
西郷の言葉は、目先の「功績」に目を奪われることなく、その人物が持つ「徳」の有無を厳しく見極めることの重要性を、現代の私たちに強く訴えかけているのです。
第6章:「徳ある者」に「功」が伴わない場合への思慮深い対応
一方で、「人柄は非常に良いのだが、なかなか成果を上げられない」という「徳はあるが功がない」と見なされる人材も組織には存在するかもしれません。このような場合、どのように考え、対応すべきでしょうか。
西郷の言葉は「徳ある者には地位を与えよ」と述べていますが、これは必ずしも「功績が全くなくても、人徳さえあれば誰でも高い地位につけるべきだ」という意味ではないでしょう。やはり地位には責任が伴い、その責任を果たすための能力や実績も一定程度は必要となるはずです。
しかし、だからといって「徳」のある人材の価値を軽視して良いわけではありません。「徳」は一朝一夕に身につくものではなく、組織の健全な文化を維持し、長期的な信頼関係を構築する上で非常に貴重な財産です。
「徳はあるが功がない」ように見える人材に対しては、以下のような視点での対応が考えられます。
- 成長の機会とサポートの提供: もしかしたら、その人物はまだ能力を開花させるための適切な機会や経験、あるいは必要なスキルが不足しているだけかもしれません。研修プログラムの提供、OJTによる丁寧な指導、経験豊富なメンターによるサポートなどを通じて、成果を上げられるように育成する視点が重要です。その「徳」を基盤として、スキルや経験が加われば、将来的に大きな「功績」を上げるリーダーに成長する可能性を秘めています。
- 適材適所の追求: 全ての人が同じ分野で同じように「功績」を上げられるわけではありません。その人の持つ「徳」や特性が最も活かせる役割や部署があるはずです。例えば、直接的な営業成績を上げるのは苦手でも、チームメンバーをサポートし、職場の雰囲気を良くすることに長けているかもしれません。あるいは、顧客と長期的な信頼関係を築くのが得意かもしれません。人材育成、組織文化の醸成、顧客サポートといった分野で、その「徳」が大きな価値を発揮する可能性があります。
- 「功績」の定義の再考: 第1章で述べたように、「功績」は短期的な数値目標だけではありません。チームへの貢献、後進の育成、企業文化への良い影響なども立派な「功績」です。その人物が組織に対してどのような形で貢献しているのか、多角的な視点で評価し、その「見えにくい功績」を正当に認めることが大切です。
- 時間をかけた評価と育成: 人の成長には時間がかかります。短期的な成果だけで判断せず、長期的な視点でその人の可能性を見守り、支援し続ける姿勢も時には必要です。「徳」という土台があれば、時間はかかっても着実に成長し、組織に貢献してくれる人材になる期待が持てます。
もちろん、いつまでも成果が出ない状態を放置することはできません。しかし、安易に「使えない人材」とレッテルを貼るのではなく、その人が持つ「徳」というかけがえのない価値を認識した上で、いかにしてその力を組織のために活かしていくか、という建設的なアプローチが求められます。
「徳」は組織の土壌を豊かにする要素であり、そのような人材を大切に育て、活かすことができる組織こそが、真の強さを持つと言えるでしょう。
第7章:企業が「功」と「徳」を兼ね備えた人材を育み、登用するために
では、企業が西郷隆盛の言う「功ある者」と「徳ある者」、理想的にはその両方を兼ね備えた人材を育成し、適切な地位に登用していくためには、具体的にどのような取り組みが必要なのでしょうか。
これは一朝一夕に達成できるものではなく、採用から育成、評価、登用といった人事システム全体、そして企業文化そのものに関わる継続的な努力が求められます。
1. 採用段階での見極め:入り口の重要性
- 価値観のマッチング: スキルや経験だけでなく、自社の企業理念や行動指針(バリュー)に共感し、体現できる可能性のある人材かを見極めます。
- コンピテンシー面接の活用: 過去の行動事例を通じて、誠実さ、協調性、ストレス耐性、他者への配慮といった「徳」に関連する特性を評価します。
- リファレンスチェックの実施: 前職の上司や同僚など、複数の関係者から客観的な情報を得ることで、書類や面接だけでは分からない人物像を把握します。
- 多様な選考方法の導入: グループワークやインターンシップなどを通じて、実際の行動や他者との関わり方から人間性を観察する機会を設けます。
2. 評価制度の改革:「徳」を評価軸に組み込む
- 成果(What)と行動(How)の両面評価: 目標達成度といった「功績」だけでなく、そのプロセスにおいて企業が求める価値観や行動規範(「徳」に通じる要素)が実践できていたかを評価項目に加えます。
- 360度評価(多面評価)の導入: 上司だけでなく、同僚や部下、場合によっては顧客からもフィードバックを得ることで、より客観的で多角的な人物評価を行います。
- プロセス評価の重視: 結果だけでなく、そこに至るまでの努力、工夫、チームへの貢献、困難への対処なども評価の対象とすることで、短期的な成果に偏らない評価を目指します。
- バリュー評価の徹底: 企業が大切にする価値観(誠実、挑戦、協調など)を具体的な行動レベルに落とし込み、その実践度合いを評価します。
3. 人材育成プログラムの充実:人間力を磨く機会の提供
- リーダーシップ研修の深化: 知識やスキルだけでなく、倫理観、人間力、コミュニケーション能力、共感力といった「徳」を養うためのプログラムを導入します。ケーススタディやロールプレイングを通じて、倫理的なジレンマへの対処法などを学びます。
- メンター制度・コーチングの活用: 経験豊富な先輩社員がメンターとなり、業務上の指導だけでなく、人間的な成長もサポートします。専門のコーチによるコーチングも、自己認識を深め、内省を促す上で有効です。
- 企業理念・ビジョンの浸透活動: ワークショップや対話の機会を通じて、社員一人ひとりが企業の存在意義や目指す姿を深く理解し、自らの行動に結びつけられるように促します。
- 越境学習・社会貢献活動の奨励: 通常業務とは異なる環境での経験(他社への出向、NPO活動への参加など)を通じて、視野を広げ、多様な価値観に触れる機会を提供します。
4. 企業文化の醸成:「徳」が尊重される風土づくり
- 経営層の率先垂範: 経営トップ自らが「徳」を重んじる姿勢を言動で示し、模範となることが最も重要です。倫理的な判断を優先し、社員を大切にする姿勢を貫きます。
- 倫理綱領・行動規範の策定と浸透: 企業として大切にする価値観や倫理的な行動基準を明確に定め、社員教育や日々のコミュニケーションを通じて浸透させます。
- オープンで心理的安全性の高い職場環境: 役職や立場に関わらず、自由に意見が言え、間違いを恐れずに挑戦できる、風通しの良い職場環境を作ります。ハラスメントや不正を許さない断固たる姿勢を示します。
- 「徳」ある行動の称賛: 利益に直結しない行動であっても、他者への貢献や誠実な行動など、「徳」を体現する行為を積極的に見つけ出し、称賛する文化を育みます。
- 失敗からの学びを許容する文化: 挑戦に伴う失敗を責めるのではなく、そこから学び、次に活かすことを奨励する文化が、「徳」ある行動を後押しします。
5. 登用基準の明確化と覚悟:「徳」を必須条件に
- 昇進・昇格基準への「徳」の明記: リーダー層への登用にあたっては、業績や能力だけでなく、「徳」に関する評価を明確な基準として盛り込み、それを厳格に適用します。
- 経営陣のコミットメント: 短期的な業績が良いからといって、「徳」に問題のある人物を安易に登用しないという強い意志を経営陣が持ち、それを組織内外に示すことが不可欠です。時には厳しい判断も必要になります。
これらの取り組みは、一貫性と継続性が鍵となります。組織のトップから現場の社員まで、全員が「功」と「徳」のバランスの重要性を理解し、それを日々の行動に反映させていくことで、初めて真に強く、持続可能な組織が築かれるのです。
まとめ:西郷隆盛の言葉を胸に、未来を拓く組織づくりを
「功ある者には禄を与えよ、徳ある者には地位を与えよ」
この西郷隆盛の言葉は、約150年の時を超え、現代の私たちに組織運営における普遍的な真理を語りかけています。
変化が激しく、複雑性を増す現代社会において、企業が持続的な成長を遂げるためには、目先の「功績」や短期的な利益だけを追求するのではなく、その組織を構成する「人」のあり方、すなわち「徳」を重視することが不可欠です。
高い能力や実績(功)を持つ人材は、確かに組織にとって貴重な戦力です。しかし、その能力が正しい方向(徳)に導かれなければ、時に組織に大きなダメージを与えかねません。一方で、高い倫理観や人間的魅力(徳)を持つ人材は、周囲に良い影響を与え、組織の結束力を高め、長期的な信頼を築く基盤となります。
理想は、「功」と「徳」を兼ね備えた人材がリーダーシップを発揮し、組織を導いていくことです。そのためには、企業自身が、
- 「功績」を多角的に捉え、正当に評価し、報いること(禄を与える)
- 人間としての「徳」を重視し、それを育み、見抜くこと
- そして、「徳」ある人物にこそ、責任ある「地位」を託すこと
この三位一体の取り組みを、採用、育成、評価、登用、そして企業文化のあらゆる側面に織り込んでいく必要があります。
それは決して容易な道ではありません。時には、短期的な利益と長期的な組織の健全性が天秤にかけられる場面もあるでしょう。しかし、そのような時こそ、西郷隆盛の言葉に立ち返り、何が組織にとって本当に大切なのかを見失わない勇気が求められます。
「功」と「徳」の調和を追求する組織は、社員一人ひとりの能力と人間性を最大限に引き出し、変化の時代を乗り越える強靭さを持ち、社会からも信頼され、愛される存在へと成長していくことができるはずです。
このコラムが、皆様の企業における人材育成や組織運営について、改めて考えるきっかけとなれば幸いです。西郷隆盛の叡智は、未来を拓くための確かな羅針盤となるでしょう。