はじめに:その「普通」、本当に「普通」でしょうか?
「営業とは、足で稼ぐものだ。それが普通だろう」 「この業界では、このやり方が普通なんだよ」 「若手はまず、先輩の言うことを聞いていればいい。それが普通だ」
経営者や営業責任者の皆様であれば、こうした言葉を一度は口にしたり、耳にしたりしたことがあるかもしれません。長年の経験から導き出された「普通」や「当たり前」は、組織運営において一定の効率性をもたらし、過去の成功を支えてきた重要な指針であったことでしょう。
しかし、もし今、自社の営業組織に次のような課題を感じているとしたら、その「普通」こそが成長を阻害する壁になっている可能性があります。
- 営業成績が思うように伸びず、頭打ちになっている
- 若手や中堅社員がなかなか育たず、離職率も高い
- 特定のトップセールスに売上が依存してしまっている
- 新規顧客の受注率は低いのに、既存顧客の解約率が高い
- 会議で新しいアイデアが出ず、組織全体に停滞感が漂っている
変化の激しい現代において、かつての「普通」は、もはや「普通」ではありません。市場環境、顧客の価値観、そして働く人々の考え方は、驚くほどのスピードで多様化しています。この変化の時代に、旧来の「普通」という物差しだけで組織を測り、社員を導こうとすることは、羅針盤を持たずに嵐の海へ漕ぎ出すようなものです。
本稿では、多くの企業が陥りがちな「普通」という固定観念の危険性と、これからの時代に持続的な成長を遂げるために必要な、多様性を力に変える組織運営について、具体的な視点と共にお伝えします。この記事を読み終える頃には、自社の営業組織が抱える課題の根本原因と、その解決に向けた第一歩が見えてくるはずです。
第1章:なぜ、あなたの会社の「普通」が危険なのか?
私たちが無意識に使っている「普通」という言葉は、時として強力な思考の足かせとなります。特に、変化への対応が求められる営業の現場において、その影響は深刻です。
1. 思考停止を招き、変化への対応を遅らせる
「これまでこのやり方で成功してきたのだから、これが普通だ」という考えは、最も心地よく、そして最も危険な罠です。過去の成功体験は貴重な資産ですが、それに固執するあまり、市場や顧客の変化を見過ごす原因となります。
例えば、かつては対面での頻繁な訪問が「普通」の営業スタイルでした。しかし、デジタル化が進み、顧客の情報収集方法が大きく変わった現在、同じやり方を続けていては「しつこい営業」と敬遠されかねません。オンラインでの情報提供やウェビナー、データに基づいたインサイドセールスなど、新たな手法が次々と生まれています。
「普通はこうだから」という一言は、こうした新しいアプローチを検討する機会そのものを奪い、「なぜ変える必要があるのか?」という本質的な問いから目を背けさせてしまいます。その結果、競合他社が新しい手法で成果を上げる中、自社だけが時代に取り残されてしまうのです。
2. 社員の主体性とモチベーションを著しく低下させる
経営者や上司の「普通」は、部下や若手社員にとっては「普通」でないことが多々あります。価値観が多様化した現代において、一方的な価値観の押し付けは、社員のエンゲージメントを著しく損ないます。
「私の若い頃は、夜遅くまで資料作成をするのが普通だった」 「とにかく気合と根性で乗り切るのが営業の普通だ」
こうした言葉は、一見すると熱心な指導のように聞こえるかもしれません。しかし、受け取る側にとっては、自分の個性や考えを否定され、「会社の言う通りに動く駒」であることを求められているように感じられます。
人間は、自らの意思で考え、行動し、その結果として誰かの役に立っていると実感できた時に、最も高いパフォーマンスを発揮します。貢献している実感、成長している実感、目標を達成した実感、そして自分らしさを表現できているという感覚。これらが満たされてこそ、仕事を楽しむことができ、主体的な行動が生まれます。
上からの「普通」を押し付けられた社員は、次第に「言われたことだけやればいい」という指示待ちの状態に陥ります。失敗を恐れて新しい挑戦をしなくなり、組織全体から活力が失われていくのです。これでは、個々の社員が持つ潜在能力を最大限に引き出すことなど到底できません。
3. 顧客との間に見えない溝を作る
最も深刻な問題は、自社の「普通」が顧客の「普通」と乖離していくことです。
かつては、営業担当者が持ってくる情報が顧客にとっての貴重な情報源でした。しかし、インターネットが普及した今、顧客は営業担当者に会う前に、自ら情報を収集し、比較検討することが「普通」になっています。
そのような顧客に対して、自社の製品やサービスの利点ばかりを一方的に話す、旧来の「御用聞き営業」や「プロダクトアウト型の営業」は通用しません。顧客が今、何を「普通」と考え、どのような課題を抱えているのか。その背景を深く理解し、顧客自身も気づいていないような潜在的なニーズを掘り起こし、共に解決策を考えていくパートナーとしての姿勢が求められています。
自社の「普通」に固執する組織は、顧客の微妙な変化のサインを見逃します。「きっとお客様もこう考えているだろう」という思い込みで営業活動を続け、いつの間にか顧客との間に大きな溝ができてしまうのです。その結果が、低い受注率や高い解約率となって表れているのではないでしょうか。
第2章:これからの時代に求められる「多様性」を力に変える組織
では、「普通」という名の固定観念から脱却し、持続的に成長する営業組織を作るためには、何が必要なのでしょうか。その答えは、組織内に存在する「多様性」を認め、それを強みに変えていくことにあります。
1. 経営者・管理職が最初にすべきこと:自分の「普通」を疑う
変化の第一歩は、経営者や管理職の皆様自身が、ご自身の持つ「普通」や「当たり前」が、数ある価値観の一つに過ぎないと認識することから始まります。これは、ご自身の経験を否定することではありません。むしろ、その豊富な経験を、変化の時代に適応させるための土台として捉え直す作業です。
「なぜ自分はこれを『普通』だと感じるのだろう?」 「このやり方以外に、もっと良い方法はないだろうか?」 「部下がやろうとしていることは、自分の『普通』とは違うが、一理あるかもしれない」
このように自問自答し、自分の考えを客観視する癖をつけることが重要です。自分の中にある無意識の偏見(アンコンシャス・バイアス)に気づき、多様な意見に耳を傾ける姿勢が、組織全体の風通しを良くする出発点となります。
2. 「違い」は問題ではなく、組織の「資産」である
営業チームに、様々なバックグラウンド、異なる価値観、得意なスキルを持つ人材がいる状況を想像してみてください。
- データ分析が得意で、ロジカルな提案資料を作るのがうまい社員
- 相手の懐に飛び込むのが得意で、顧客と長期的な関係を築ける社員
- 最新のデジタルツールに精通し、効率的な営業プロセスを提案できる若手社員
- 業界経験が長く、顧客の組織事情まで深く理解しているベテラン社員
もし、画一的な「普通」の営業スタイルを全員に強制すれば、彼らの持つ個性や強みは失われてしまいます。しかし、それぞれの「違い」を組織の資産として捉え、互いに尊重し、協力し合う文化を醸成できればどうでしょうか。
ある顧客にはロジカルなデータでアプローチし、別の顧客には人間関係を軸にアプローチする。デジタルツールで効率化した時間を使って、ベテランが若手に顧客理解の深め方を教える。このように、多様な個性が組み合わさることで、どのような顧客や状況にも対応できる、しなやかで強靭な営業組織が生まれるのです。
3. 社員が本音で話せる「心理的安全性」を育む
多様性を力に変える上で、土台となるのが「心理的安全性」です。心理的安全性とは、組織の中で自分の考えや気持ちを誰に対してでも安心して発言できる状態のことを指します。
「こんな初歩的な質問をしたら、無能だと思われるかもしれない」 「上司の意見に反論したら、評価を下げられるのではないか」
社員がこのような不安を感じる環境では、どんなに優れたアイデアも表に出てくることはありません。特に、既存の「普通」を覆すような革新的なアイデアは、最初は突拍子もない意見に聞こえるものです。そうした意見を恐れずに発言でき、建設的な議論ができる環境こそが、組織の成長の源泉となります。
経営者や管理職は、部下の意見を頭ごなしに否定せず、「なぜそう考えたの?」と背景にある意図や考えを理解しようと努めることが求められます。失敗を責めるのではなく、挑戦を称賛する文化を育むことで、社員は安心して新しいことに取り組み、組織全体の新陳代謝が活発になっていくのです。
第3章:明日から始められる、多様性を力に変える具体的な行動
では、具体的にどのような行動を起こせば、多様性を力に変える組織を築くことができるのでしょうか。ここでは、明日からでも実践可能な3つのアクションをご紹介します。
1. 「管理」のための面談から、「育成」のための対話(1on1)へ
多くの企業で定期的な面談が行われていますが、その目的が「進捗管理」や「評価の伝達」に終始していないでしょうか。これからの時代に求められるのは、上司と部下の相互理解を深め、部下の成長を支援するための「対話」です。そのための有効な手法が「1on1ミーティング」です。
1on1の主役は、上司ではなく部下です。上司は答えを与えるのではなく、質問を通じて部下の考えを引き出すことに徹します。
- 「今、仕事で一番楽しいと感じることは何?」
- 「逆に、難しいと感じていることや、課題に感じていることはある?」
- 「今後、どんなスキルを身につけて、どんな仕事に挑戦していきたい?」
- 「その目標を達成するために、私に何か手伝えることはないかな?」
このような対話を定期的に(例えば週に1回15分〜30分程度)続けることで、上司は部下一人ひとりの個性や価値観、キャリアプランを深く理解することができます。部下は、自分のことを理解し、成長を応援してくれる上司の存在を心強く感じ、安心して仕事に取り組むことができます。
この個別最適な対話の積み重ねこそが、画一的な研修では決して実現できない、社員一人ひとりのパフォーマンスを最大化する育成の基本となります。
2. 結果だけでなく、「挑戦」と「プロセス」を評価する仕組みを作る
多くの営業組織では、売上や契約件数といった「結果指標」のみで評価が決定されます。もちろん結果は重要ですが、それだけを追い求めると、社員は失敗を恐れて確実な案件しか狙わなくなったり、短期的な成果のために顧客の意向を無視した強引な営業に走ったりする危険性があります。
持続的な成長のためには、結果に至るまでの「プロセス」や、新しい手法への「挑戦」も評価の対象に加えることが有効です。
- 新しい営業ツールを導入し、業務効率を改善した
- これまでアプローチできていなかった業界の新規開拓に挑戦した
- 顧客の潜在ニーズを掘り起こし、大型案件に繋がる仮説を立てた
たとえ直接的な売上に結びつかなかったとしても、こうした挑戦的な行動を評価することで、社員は安心して新しい試みに取り組むことができます。こうしたプロセスでの学びや挑戦が、未来の大きな成果へと繋がっていくのです。
3. 個人の知見を「組織の力」に変えるナレッジシェア
多様な個性を持つ社員がそれぞれの現場で得た成功体験や失敗からの学びは、組織にとっての貴重な財産です。しかし、それが個人の経験談で終わってしまっては、組織全体の力にはなりません。
重要なのは、これらの知見を形式知化し、誰もがアクセスできる形で共有する仕組みを作ることです。
- 成功した商談の提案資料やトークスクリプトを共有する
- 失注した案件について、その原因を分析し、次の対策をチームで議論する
- 顧客からいただいた感謝の言葉や、逆に厳しい指摘を共有し、サービス改善に繋げる
ここで重要なのは、特定のトップセールスのやり方を「これが正解だ」として全員に真似させることではない、という点です。そうではなく、多様な成功パターンや失敗パターンを共有することで、社員一人ひとりが「自分の場合は、このやり方が参考になるかもしれない」「この失敗は自分もやりがちだから気をつけよう」と、自分自身の営業スタイルを確立するためのヒントを得られるようにすることです。
これにより、組織は特定の個人に依存することなく、チーム全体として営業力を高めていくことができます。個の力を最大限に活かしながら、組織として成長していく。これが、これからの営業組織が目指すべき姿です。
結論:あなたの会社の「普通」を、未来への推進力に
本稿では、変化の時代において「普通はこうだから」という固定観念がいかに危険であるか、そして、多様性を認め、それを力に変える組織運営の重要性についてお伝えしてきました。
もはや、単一の正解が存在しない時代です。過去の成功体験という名の「普通」にしがみつくことは、変化の潮流から取り残されることを意味します。今、経営者の皆様に求められているのは、勇気を持ってその「普通」を手放し、社員一人ひとりの「違い」に目を向けることです。
彼らの個性、価値観、そして潜在能力を信じ、安心して挑戦できる環境を整えること。 指示や命令ではなく、対話を通じて彼らの成長を支援すること。 個々の知見を結集させ、組織全体の力へと昇華させる仕組みを構築すること。
こうした取り組みの一つひとつが、社員のエンゲージメントを高め、主体的な行動を促し、結果として受注率の向上や解約率の低下といった目に見える成果となって表れてきます。それは、小手先のテクニックではなく、企業の文化や風土に根差した、持続可能な成長の土台となるものです。
まずは、身近な部下との1on1から始めてみませんか? 彼らの「普通」に耳を傾けることから、新しい変化の波が生まれるかもしれません。
もし、自社だけでこれらの変革を進めることに難しさを感じたり、何から手をつければ良いか分からなかったりする場合には、外部の専門家の視点を取り入れることも一つの有効な手段です。客観的な視点から組織の課題を分析し、皆様と共に未来への一歩を踏み出すお手伝いができるかもしれません。
あなたの会社が、旧来の「普通」という呪縛から解き放たれ、多様な個性が輝くことで力強く成長していくことを、心から願っております。