多くの企業、特に成長段階にある企業において、営業チームの中核を担うのが「プレイングマネージャー」の存在です。自らも高い営業目標を背負いながら、部下のマネジメントや育成も担う。その活躍が、組織の売上を直接的に左右すると言っても過言ではありません。
しかし、多くの経営者や営業責任者の方々とお話しする中で、「優秀なプレイヤーをマネージャーに昇格させたものの、期待したほどチームの成果が上がらない」という悩みを頻繁に耳にします。その背景には、プレイングマネージャー自身が抱える深刻なジレンマが存在します。
「自分の目標数字を達成するだけで手一杯だ」 「部下に任せるより、自分でやった方が圧倒的に早いし、質も高い」 「部下の育成に時間を割く余裕など、どこにもない」
このような声は、多くの現場で聞かれる偽らざる本音ではないでしょうか。自身のプレイヤーとしての成果と、マネージャーとしてのチーム育成。この二つの役割の間で板挟みになり、結果として目先の数字達成を優先し、部下育成が後回しになってしまう。この構造的な問題こそが、営業組織の成長を鈍化させ、将来的な競争力を削いでいく大きな要因となっているのです。
本稿では、なぜプレイングマネージャーが部下育成の優先順位を下げてしまうのか、その構造を解き明かし、多忙な中でもチームの成果を最大化し、持続可能な成長を実現するための具体的な思考法とアプローチについて解説していきます。これは、単なるマネジメント手法の話ではありません。企業の未来を創るための、重要な経営課題なのです。
第1章:なぜ部下育成は後回しにされてしまうのか?プレイングマネージャーが陥る4つの罠
プレイングマネージャーが部下育成よりも自身の営業活動を優先してしまう背景には、いくつかの構造的な「罠」が存在します。これらを理解することが、解決への第一歩となります。
罠1:短期的な成果指標によるプレッシャー 多くの企業では、マネージャーの評価は、依然として「個人」と「チーム」の売上目標達成率に大きく依存しています。特に四半期や月次の目標が厳しく設定されている場合、マネージャーの意識は当然、短期的に達成可能な「自分の売上」に向かいます。部下育成は、成果が出るまでに時間がかかる「長期的な投資」です。緊急かつ重要な「今月の目標達成」の前に、「重要だが緊急ではない」育成業務が後回しにされるのは、ある意味で合理的な判断とも言えます。しかし、この判断の積み重ねが、組織の未来を少しずつ蝕んでいくのです。
罠2:「自分がやった方が早い」という成功体験の呪縛 プレイングマネージャーの多くは、元々トップクラスの営業成績を上げてきたエースプレイヤーです。彼らには、独自の成功法則や行動パターンが染み付いています。そのため、部下が非効率な動きをしていたり、成約に手間取っていたりするのを見ると、「自分が代わりに対応した方が早いし、確実だ」と感じてしまいます。この「感覚」は、短期的には正しいかもしれません。しかし、部下からしてみれば、それは成長の機会を奪われることに他なりません。マネージャーが火消しに奔走すればするほど、部下は指示待ちになり、自分で考えて行動する力を失っていきます。
罠3:役割認識のズレ – 「目標が大きくなったプレイヤー」という誤解 マネージャーに昇格した際に、その役割の根本的な変化を正しく認識できていないケースも散見されます。プレイヤーとしての役割は「自身の目標を達成すること」でした。しかし、マネージャーの役割は「チームの目標を達成させること」であり、その手段として部下の能力を最大限に引き出すことが求められます。この役割転換ができないと、「自分の目標に加えて、部下の管理業務も増えた、目標数値が大きくなっただけのプレイヤー」という自己認識に陥ってしまいます。その結果、自分の背中を見せてチームを牽引しようとしますが、それは単なる「一人のスーパープレイヤー」の存在を際立たせるだけで、チーム全体の底上げには繋がりません。
罠4:育成方法がわからないという現実的な課題 そもそも、「人に教える」というスキルと、「自分で成果を出す」というスキルは全くの別物です。多くの場合、十分なマネジメント研修や育成に関するトレーニングを受けないまま、現場の最前線に立たされます。どうやって目標設定をさせれば良いのか、どのようなフィードバックが部下の成長を促すのか、1on1ミーティングで何を話せば良いのか。具体的な方法論を知らないために、育成に対して苦手意識を持ち、無意識に避けてしまうのです。
これらの罠は、決して個人の能力や意欲だけの問題ではありません。企業の評価制度や育成体制といった、組織全体の構造的な課題が深く関わっているのです。
第2章:育成を怠ることで会社が失う、あまりに大きな代償
部下育成を後回しにし、プレイングマネージャーが自身の成果を追い続ける組織は、一見すると短期的な売上を維持できているように見えるかもしれません。しかし、その水面下では、静かに、しかし確実に組織の土台が侵食されています。
1. 組織力の頭打ちと属人化の加速 マネージャー一人の力で達成できる売上には限界があります。チーム全体のスキルが向上しなければ、組織としての売上目標はどこかで必ず頭打ちになります。また、成果がマネージャー個人のスキルに依存する状態は、極めて脆弱な組織構造と言えます。そのマネージャーが異動や退職をした途端に、チーム全体の売上が急落するリスクを常に抱えることになります。これは、特定の個人の手腕に頼る「属人的な組織」の典型例です。
2. 部下の成長機会の喪失とモチベーションの低下 「この会社にいても成長できない」と感じた時、優秀な人材ほど早く組織を去っていきます。上司が自分の成長に関心を持ってくれない、具体的なフィードバックや指導がない、挑戦的な仕事を任せてもらえない。こうした状況は、部下の働く意欲を著しく削ぎます。結果として、指示されたことだけをこなす受動的な社員ばかりが残り、組織全体の活力が失われていくのです。離職率の高さや、若手社員の定着率の低さに悩む企業は、この点を見直す必要があります。
3. マネージャー自身の疲弊とバーンアウト チームの目標達成の責任を一身に背負い、部下の未達分を自らのプレイングでカバーし続ける。このような働き方は、早晩限界を迎えます。常に時間に追われ、精神的にも肉体的にも疲弊し、本来発揮すべきマネジメント能力を発揮できなくなる。最悪の場合、心身の不調から休職や退職に至るケースも少なくありません。組織の要であるべきマネージャーが疲弊しきっている状態は、企業にとって計り知れない損失です。
4. 負の連鎖と組織文化の劣化 育成されなかった部下は、自分がマネージャーになった時に、どうやって部下を育てれば良いのかわかりません。結果として、自分自身が受けてきたのと同じように、育成を軽視するマネジメントを繰り返してしまいます。こうして、「人を育てない文化」が組織に根付いてしまうのです。一度定着してしまった文化を変えるには、相当な時間とエネルギーを要します。
目先の売上を優先し、育成という未来への投資を怠ることは、企業の持続的な成長の可能性そのものを放棄していることに等しいのです。
第3章:「最強のプレイヤー」から「最高のチーム」へ – マネージャーの役割再定義
この深刻な状況を打破するために、まず必要なのは、経営層とマネージャー自身による「プレイングマネージャーの役割」の再定義です。
プレイングマネージャーの最大のミッションは、**「自分がいなくても目標を達成できるチームを創ること」**です。
これは、決してプレイヤーとしての活動を否定するものではありません。むしろ、現場の最前線にいるからこそ得られる顧客の声や市場の動向をチームに還元し、自らの行動をもって模範を示すことは極めて重要です。しかし、その全ての行動の目的が、「個人の成果」から「チームの成果の最大化」へとシフトしている必要があります。
具体的には、以下のような意識の転換が求められます。
- 「自分が売る」から「部下に売らせる」へ どうすれば部下が自力で契約を取れるようになるか、そのための戦略を考え、支援することに思考と時間を使います。商談に同行する目的も、自分がクロージングするためではなく、部下の商談スキルを向上させるためのフィードバック材料を集めることに変わります。
- 「答えを教える」から「答えに導く」へ 部下が壁にぶつかった時、すぐに正解を与えるのではなく、「君はどうしたい?」「そのためにどんな選択肢があると思う?」と問いかけ、自ら考えさせる習慣をつけさせます。このプロセスこそが、部下の思考力を鍛え、主体性を育むのです。
- 「自分の時間を管理する」から「チームの時間をデザインする」へ 個人のタスク管理だけでなく、チーム全体の時間をどう配分すれば最も生産性が上がるかを考えます。特に、部下の育成に充てる時間をあらかじめスケジュールに組み込み、何よりも優先する覚悟が求められます。
この役割認識の転換なくして、行動の変容はあり得ません。経営者は、プレイングマネージャーに対して、「君の仕事は、君を超える人材を育てることだ」という明確なメッセージを伝え続ける必要があります。そして、そのための育成活動を正当に評価する制度を構築することが不可欠です。
第4章:多忙な中でも実践可能。「育てる仕組み」を構築する具体的な4ステップ
「理想はわかるが、現実的には時間がない」。そう思われるかもしれません。しかし、重要なのは、まとまった時間を確保することではなく、日々の業務の中に「育成の仕組み」を組み込むことです。ここでは、明日からでも始められる具体的なステップをご紹介します。
ステップ1:育成時間を「予約」する – 意図的に対話の機会を創出する 時間は、意識しなければ日々の緊急業務に流されて消えていきます。だからこそ、部下との対話の時間を、他の会議と同じようにスケジュール上で「予約」してしまうことが有効です。
例えば、**「毎日の朝礼後15分」や「週に一度、水曜日の午前中に30分」**といった形で、チームメンバーとの1on1ミーティングを定例化します。この時間は、単なる進捗報告の場ではありません。部下が抱えている課題の壁打ち、キャリアに関する相談、あるいは些細な悩みを聞く時間として活用します。
「何か困っていることはないか?」という漠然とした問いではなく、「今、一番うまくいっていることと、一番苦戦していることは何?」といった具体的な問いから始めることで、対話が深まります。この短い時間の積み重ねが、信頼関係を醸成し、部下の変化を早期に察知するアンテナとなるのです。
ステップ2:成功体験を「言語化」し「標準化」する エースプレイヤーであるあなたの頭の中には、豊富な成功体験とノウハウが蓄積されています。しかし、それが「感覚」や「暗黙知」のままであっては、他の誰も活用することができません。
あなたの成功体験を、誰でも再現可能なレベルまで言語化し、体系化することが重要です。
- 初回訪問時のアイスブレイクの鉄板トーク
- 顧客の潜在ニーズを引き出すための質問リスト
- 反論された際の切り返しトーク集
- 成約率が高い提案書の構成パターン
これらをドキュメントやマニュアルに落とし込み、チームの共有財産とします。これは、単に部下のスキルを底上げするだけでなく、あなた自身が「なぜ自分は成果を出せるのか」を客観的に分析し、指導の精度を高めることにも繋がります。いわゆる「営業の型化」であり、組織全体の営業品質を安定させるための土台となります。
ステップ3:「任せる勇気」を持ち、失敗を許容する 「自分がやった方が早い」という思考から脱却するには、意図的に部下に仕事を任せ、失敗するリスクを受け入れる「勇気」が必要です。もちろん、丸投げではいけません。
任せる際には、
- 仕事の目的とゴール(期待する状態)を明確に伝える
- 裁量を与える範囲と、報告・相談が必要なラインを事前に共有する
- 失敗しても最終的な責任は自分が取る、という姿勢を見せる
この3点を徹底することが重要です。部下は、失敗を恐れずに挑戦できる環境の中でこそ、最も大きく成長します。最初は時間がかかり、失敗の後処理も発生するかもしれません。しかし、その経験こそが、部下を自律した人材へと育て、将来的にはあなたの右腕となる存在に変えていくのです。
ステップ4:フィードバックの質を高める 育成の核心は、質の高いフィードバックにあります。部下の行動に対して、具体的かつ建設的なフィードバックを与えることで、次の行動変容を促します。
悪い例は、「もっと頑張れ」「気合が足りない」といった抽象的な精神論や、「なぜできなかったんだ」という詰問です。
良いフィードバックのポイントは、
- 事実(Fact)を具体的に伝える:「先ほどの商談で、お客様が価格の話をされた時、少し表情が曇ったように見えたが、何か気づいたことはあるか?」
- 良かった点と改善点をセットで伝える:「冒頭のヒアリングは非常に丁寧で、お客様の課題を深く理解できた点が素晴らしかった。一方で、最後のクロージングでは、もう少し背中を押す一言があれば、結果は違ったかもしれないね。」
- 人格ではなく行動を指摘する:「君はダメだ」ではなく、「あの場面でのあの発言は、お客様を不安にさせた可能性がある」と伝えます。
こうした質の高いフィードバックは、部下の自己認識を助け、具体的な改善行動へと繋げることができます。
結論:未来の売上は、今日の「育成」から生まれる
プレイングマネージャーが目先の数字に追われ、部下育成を後回しにしてしまう。この問題は、多くの企業が抱える根深く、そして深刻な課題です。しかし、この課題から目を背け続ける限り、組織の持続的な成長は望めません。
真のマネージャーは、「課される数字が大きくなったプレイヤー」ではありません。**チームという名の楽器を指揮し、最高の演奏(成果)を奏でるコンダクター(指揮者)**なのです。個々の楽器(部下)が最高の音色を奏でられるよう、日々のチューニング(育成)を欠かさない。それこそが、プレイングマネージャーに課せられた最も重要な役割です。
部下を育てることは、決して遠回りではありません。むしろ、将来の売上を安定的に、そして指数関数的に伸ばしていくための、最も確実な投資です。今日始めた部下との15分の対話が、1年後、3年後のチームの、そして会社の姿を大きく変える力を持っています。
もし、貴社のプレイングマネージャーが日々の業務に忙殺され、本来のマネジメント機能を発揮できていないと感じているのであれば。あるいは、営業組織の仕組みづくりや人材育成の体系化に課題を感じているのであれば。一度立ち止まり、外部の専門的な視点を取り入れてみることも、有効な選択肢の一つかもしれません。
未来の成果は、今日この瞬間の行動によって創られます。貴社の営業組織が、持続的な成長を遂げるための第一歩を、今こそ踏み出してみてはいかがでしょうか。