徳川家康の言葉に学ぶ、急成長ではなく「着実な成長」を遂げる営業組織の作り方

はじめに:なぜ今、徳川家康の言葉が経営者に響くのか

「人の一生は、重荷を負て遠き道を行くが如し。急ぐべからず。」

これは、長く続いた戦国の世を終焉させ、260年以上続く江戸幕府の礎を築いた徳川家康が遺したとされる言葉です。この言葉は、人生の機微を説くだけでなく、現代を生きる私たち、特に企業の舵取りを担う経営者にとって、非常に重要な示唆を与えてくれます。

変化の激しい現代のビジネス環境において、私たちは常に短期的な成果を求められがちです。今月の売上、今四半期の目標達成、次年度の成長率――。もちろん、これらは企業が存続し、成長していく上で欠かせない指標です。しかし、目先の数字を追い求めるあまり、より本質的で、長期的な組織の成長に繋がる取り組みがおろそかになってはいないでしょうか。

特に、企業の成長エンジンである「営業」の領域において、この傾向は顕著に現れます。売上目標という「重荷」を背負いながら、私たちは時に道を「急ぎすぎ」てしまうのです。その結果、本来であれば時間をかけて築くべき強固な営業組織という「遠き道」を見失い、気づけば道に迷い、立ち往生してしまう。そんな状況に陥っている企業は少なくありません。

本稿では、徳川家康のこの言葉を現代の営業組織論に重ね合わせ、短期的な成果主義がもたらす弊害を乗り越え、いかにして持続的に成果を出し続ける強固な営業組織を築き上げていくか、その考え方と具体的なアプローチについて深く掘り下げていきます。

第1章:「急ぐ」ことの代償 – 短期的な成果主義が組織を蝕む

多くの企業で、営業部門は最も強く「結果」を求められる部署です。そのプレッシャーが、時に組織全体を誤った方向へと導いてしまうことがあります。

1-1. 数字が人格となる文化の弊害

「今月の目標、達成できるのか?」 経営者や営業責任者であれば、誰もが口にし、また耳にする言葉でしょう。しかし、この問いかけが過度になると、営業担当者は「いかにして売るか」という一点に思考を集中させ、顧客にとっての価値提供という本来の目的を見失いがちになります。

その結果として起こるのが、いわゆる「売り逃げ」に近い営業スタイルです。自社の都合を優先した強引な提案、メリットばかりを強調しデメリットを伝えないコミュニケーションは、一時的に契約を獲得できたとしても、顧客の信頼を著しく損ないます。長期的な顧客との関係構築(LTVの向上)どころか、悪評が広まり、企業のブランドイメージを傷つけるリスクすらあるのです。

さらに、社内に目を向ければ、常に数字に追われる環境は、社員に深刻な精神的疲弊をもたらします。達成すれば賞賛され、未達であれば叱責される。そのような環境では、挑戦的な行動は生まれにくく、失敗を恐れるあまり、確実な案件しか追わない「守りの姿勢」が蔓延します。これでは、組織としての大きな成長は望めません。

1-2. 再現性のない「個の力」への依存

短期的な成果を求める組織が陥りがちなのが、一部のトップセールスへの過度な依存です。彼らの活躍は、確かに短期的な売上を支える上で心強い存在です。しかし、その成功の要因が言語化されず、個人の才能や経験といった「属人的なスキル」に留まっている場合、それは組織にとって大きなリスクとなります。

トップセールスが退職してしまえば、売上は大きく落ち込み、その穴を埋めることは容易ではありません。彼らが持っていた知識やノウハウは、組織に蓄積されることなく、共に失われてしまうのです。これでは、いつまで経っても安定した組織運営は実現できません。

営業活動が個人の力量に依存している状態は、いわば「その場しのぎの戦い」を続けているのと同じです。再現性のある「勝ち方」が組織に根付いていないため、常に不安定な状況に置かれ、経営者は安心して未来の戦略を描くことができないのです。

1-3. 人が育たない、定着しない組織風土

「急ぐべからず」の精神を忘れ、短期的な結果ばかりを追い求める組織では、人材は育ちません。なぜなら、人材育成は本質的に時間がかかるものだからです。

新しいメンバーが入社しても、十分な教育の機会を与えず、すぐに現場に投入して結果を求める。これでは、彼らが自社の製品やサービス、そして営業という仕事の本質を深く理解する前に、プレッシャーに押しつぶされてしまいます。失敗から学ぶ機会も与えられず、ただ「売れない」という結果だけが突き付けられる。このような環境で、仕事へのやりがいや成長実感を得ることは困難です。

結果として、離職率の高い、人の入れ替わりが激しい組織となります。採用と教育にかかるコストは増大し続ける一方で、組織内には経験豊富な人材が蓄積されず、常に「人手不足」の状態から抜け出せません。これは、まさに負のスパイラルと言えるでしょう。

第2章:「遠き道」を歩むための設計図 – 営業の「仕組み化」

徳川家康が天下統一という「遠き道」を歩むために、緻密な戦略と制度設計を行ったように、強固な営業組織を築くためには、個人の能力だけに頼らない「仕組み」の構築が不可欠です。

2-1. なぜ「仕組み」が営業組織を強くするのか

営業の「仕組み化」とは、トップセールスの行動や思考を分析し、誰が実践しても一定の成果を上げられるような「型」を作り、組織全体で共有・実践することです。これにより、営業活動は属人的なものから、組織的なものへと昇華します。

仕組み化された組織では、以下のような変化が起こります。

  • 成果の安定化: 営業担当者のスキルレベルによる成果のばらつきが小さくなり、組織全体のパフォーマンスが底上げされます。
  • 改善の高速化: 活動が標準化されることで、どこに課題があるのかをデータに基づいて分析しやすくなります。勘や経験に頼るのではなく、論理的な改善サイクルを回すことが可能になります。
  • 人材育成の効率化: 新しいメンバーに対して、何をどの順番で教えるべきかという教育プログラムが明確になります。これにより、育成スピードが向上し、早期の戦力化が期待できます。

2-2. 構築すべき「仕組み」の具体的な要素

では、具体的にどのような仕組みを構築すればよいのでしょうか。ここでは、その代表的な要素をいくつかご紹介します。

  • 顧客情報の管理と活用: 顧客情報を単なる連絡先リストとしてではなく、過去の商談履歴、担当者の特徴、企業の課題といった情報を一元管理し、営業チーム全体で共有する仕組みを整えます。これにより、担当者が変わっても、質の高いアプローチを継続できます。
  • 営業プロセスの標準化: ターゲット顧客の選定から、アプローチ、初回訪問、提案、クロージング、そしてアフターフォローに至るまでの一連の流れを可視化し、各段階で「何をすべきか」を明確に定義します。
  • 標準的な営業ツールの整備: 誰が使っても分かりやすい会社案内資料、製品・サービス説明資料、導入事例集、そして提案書のテンプレートなどを用意します。これにより、資料作成の時間を削減し、本来注力すべき顧客との対話に時間を割けるようになります。
  • 商談の「型」化: 成功している商談の進め方を分析し、「ヒアリングすべき項目」「伝えるべき価値」「想定される質問への回答」などをまとめたトークスクリプトや商談シナリオを作成します。これは、営業担当者の経験の浅さを補い、自信を持って商談に臨むための強力な武器となります。

これらの仕組みは、一度作って終わりではありません。市場の変化や顧客の反応を見ながら、常に見直し、改善を続けていくことが重要です。まさに「遠き道」を歩み続けるための、道しるべとなるものです。

第3章:「重荷」を共に背負う仲間を育てる – 「人」への投資

精巧な設計図(仕組み)があっても、それを基に城を築くのは「人」です。同様に、優れた営業の仕組みも、それを使いこなし、魂を吹き込む「人」がいなければ、絵に描いた餅に過ぎません。

3-1. 仕組みを動かすのは「人」であるという事実

仕組み化を進めると、「営業はマニュアル通りにやればいい」という誤解が生まれることがあります。しかし、それは大きな間違いです。仕組みは、あくまで営業担当者がパフォーマンスを最大限に発揮するための土台であり、思考停止を促すものではありません。

むしろ、標準的な「型」があるからこそ、営業担当者は「このお客様の場合は、型を少しアレンジしてこう提案してみよう」といった応用的な思考を巡らせる余裕が生まれます。基礎がしっかりしているからこそ、創造性を発揮できるのです。

経営者が目指すべきは、仕組みを遵守しながらも、目の前のお客様一人ひとりに真摯に向き合い、自律的に考えて行動できる人材を育てることです。

3-2. 「急がず」育てるということ – 人材育成への長期的視点

徳川家康が、若き日の苦労や敗戦を乗り越えて成長したように、人の成長には時間と経験の積み重ねが必要です。特に営業という仕事は、知識やスキルだけでなく、人間的な成熟も求められる奥深い職務です。

経営者は、人材育成を「コスト」ではなく、未来への最も重要な「投資」と捉える必要があります。そして、その投資が実を結ぶまでには、相応の時間がかかることを理解し、辛抱強く見守る姿勢が求められます。

「なぜすぐに成果が出ないんだ」と焦るのではなく、「成長するために、今どんな壁にぶつかっているのか」「その壁を乗り越えるために、会社として何ができるか」という視点で社員と向き合うことが大切です。

3-3. 成長を促す対話の力 – 1on1ミーティングの推奨

社員の成長を長期的な視点で支援するために、極めて有効な手法の一つが、上司と部下による定期的な「1on1ミーティング」です。

これは、単なる進捗確認や業績評価の場ではありません。15分から30分程度の短い時間でも構いませんので、週に一度、あるいは隔週に一度、部下の話に真剣に耳を傾ける時間を作ります。

  • 仕事の中で感じている喜びや、やりがいは何か。
  • 逆に、難しさや課題に感じていることは何か。
  • 今後、どのようなスキルを身につけ、どんなキャリアを歩んでいきたいか。

このような対話を通じて、上司は部下の状況を深く理解し、的確なアドバイスやサポートを提供できます。部下は、自分のことを気にかけてくれているという安心感を得て、モチベーションを高めることができます。

日々の業務報告だけでは見えてこない、社員一人ひとりの悩みや成長の兆しを捉え、共に「重荷」を背負い、成長の道を伴走する。この地道なコミュニケーションの積み重ねこそが、人を育て、強い組織を築くのです。

おわりに:未来の飛躍は、着実な歩みから生まれる

再び、徳川家康の言葉に立ち返りましょう。 「人の一生は、重荷を負て遠き道を行くが如し。急ぐべからず。」

営業組織の強化とは、まさにこの言葉が示す通り、一夜にして成し遂げられるものではありません。目先の売上という「重荷」を背負いながらも、焦らず、着実に歩みを進める覚悟が経営者には求められます。

その歩みとは、個人の力に依存するのではなく、組織として戦うための「仕組み化」。 そして、その仕組みを血の通ったものにするための「人材育成」。

この二つは、車の両輪です。どちらか一方だけでは、組織は前に進むことができません。短期的には遠回りに思えるかもしれません。しかし、この両輪をじっくりと、力強く回していくことこそが、変化の激しい時代を生き抜き、10年後、20年後も成長し続ける、真に強い営業組織を築く唯一の道なのです。

もし、貴社が今、目先の成果に追われ、本来進むべき「遠き道」を見失いかけていると感じるのであれば、一度立ち止まり、自社の営業組織のあり方を根本から見つめ直してみてはいかがでしょうか。その着実な一歩が、未来の大きな飛躍に繋がるはずです。