はじめに:多くのリーダーが抱える「見えないプレッシャー」
企業の成長を牽引する営業部門。その中心に立つ経営者や営業責任者の皆様は、日々、売上目標の達成、市場の変化への対応、そして部下の育成といった多岐にわたる課題に直面されていることでしょう。特に、組織を率いる立場として、「常に正しい判断を下し、チームを力強く導かなければならない」「誰よりも高い営業スキルを持ち、部下の模範でなければならない」といった、いわば「完璧な上司」であらねばならないという、見えないプレッシャーを感じている方も少なくないのではないでしょうか。
かつてはトッププレイヤーとして誰よりも高い成果を上げてきた。だからこそ、マネージャーとなった今、部下を育成し、チーム全体の成果を最大化する役割を担っている。その自負があるからこそ、「自分ができなくてどうする」と自らを奮い立たせているかもしれません。
しかし、もし今、チームの成長に伸び悩みを感じていたり、部下の育成が思うように進んでいなかったり、あるいは、ご自身のマネジメントスタイルに漠然とした不安を感じているのであれば、一度立ち止まり、その「完璧な上司」という理想像そのものを見つめ直すことが、組織を新たなステージへ導くための重要な転換点になるかもしれません。
本稿では、強い営業組織を構築するために、なぜ上司が「完璧」を目指す必要がないのか、そして、むしろ自分自身の限界を認め、客観的に自己を捉えることが、いかにチームの成長と持続可能な成果につながるのかを、論理的かつ具体的に解説していきます。
1. 「なぜ部下はできないのか?」― 優秀なリーダーほど陥りやすい思考の罠
多くの営業マネージャーは、プレイングマネージャーとして個人の目標達成に貢献しながら、チーム全体の目標達成にも責任を負っています。その中で、多くのリーダーが一度は抱えるであろう葛藤が、「自分がプレイヤーだった頃は、これくらいのことは当たり前にできたのに、なぜ今の部下はできないのだろうか?」というものです。
この思考は、過去の成功体験を持つ優秀な方であればあるほど、自然に湧き上がってくる感情かもしれません。しかし、この思考こそが、チームの成長を阻害し、マネジメントを機能不全に陥らせる危険な罠なのです。
上司と部下は「別人」であるという当然の事実
まず認識すべきは、上司であるあなたと部下は、経験、スキル、知識、価値観、そして得意なことや苦手なことが全く異なる「別人」であるという、至極当然の事実です。あなたが無意識に、あるいは少しの努力で達成できたことが、部下にとっては非常に高い壁である可能性は十分にあります。
例えば、あなたは初対面の相手とでもすぐに打ち解け、関係性を構築するのが得意だったかもしれません。しかし、部下の中には、論理的なデータ分析は得意でも、雑談を交えたアイスブレイクに苦手意識を持つ者もいるでしょう。あなたが感覚的に掴んできた商談の「潮目」を読む力を、全ての部下が同じように持っているとは限りません。
「自分はできた」という基準を唯一の物差しとして部下を見てしまうと、「なぜできないのか」という不満や苛立ちが先行し、部下の特性や課題を冷静に分析することができなくなります。その結果、指導は「自分がやってきた方法」の画一的な押し付けになりがちです。これでは、部下は萎縮し、主体的に考えることをやめてしまいます。「言われたことだけをやればいい」「どうせ自分には無理だ」という諦めが蔓延し、組織全体の活力は失われていくでしょう。
部下は本当に「上司は完璧だ」と思っているのか?
ここで、もう一つ重要な視点があります。それは、部下はあなたが思っているほど、「上司は完璧な人間だ」とは考えていない、ということです。
むしろ、部下は日々の業務を通じて、上司の人間的な側面をよく観察しています。「うちの上司は、プレゼンはうまいけれど、細かい資料作成は苦手そうだ」「戦略を語るのは得意だが、地道なリスト管理はあまり関心がないようだ」といったように、あなたの強みだけでなく、弱みや不得手な部分にも、彼らは気づいています。
にもかかわらず、上司が「自分は全てできる」という完璧な仮面を被り続けていると、部下との間には見えない壁が生まれます。部下は、「こんな初歩的なことを質問したら、呆れられるかもしれない」「自分の弱みを見せたら、評価が下がるのではないか」と不安に感じ、本当に困っていることを相談できなくなります。結果として、問題が大きくなるまで表面化せず、手遅れになるという事態を招きかねません。
「完璧な上司」を演じることは、部下からの信頼を得るどころか、むしろ心理的な距離を生み、率直なコミュニケーションを妨げる要因にすらなり得るのです。
2. 自己客観視から始める、新しいリーダーシップ
では、どうすればこの状況を打開できるのでしょうか。その答えは、「自己客観視」にあります。つまり、自分自身の能力や特性を、感情や思い込みを排して、客観的に評価することから始めるのです。
自分の「できること」と「できないこと」を棚卸しする
まずは、一人のビジネスパーソンとして、自分自身の「強み」と「弱み」、「得意なこと」と「不得意なこと」を正直にリストアップしてみましょう。
- 強み・得意なことの例:
- 新規顧客への飛び込み営業、テレアポ
- 大型案件のクロージング
- ロジカルな戦略立案
- モチベーションを高めるチームへの声がけ
- プレゼンテーション
- 弱み・不得意なことの例:
- 緻密なデータ分析に基づいた市場調査
- CRMなどITツールの活用
- 部下一人ひとりの細かい進捗管理
- 社内調整や根回し
- 部下の話にじっくりと耳を傾けること
この棚卸しをすることで、「完璧な自分」という幻想から解放され、「得意なことと不得意なことがある、一人の人間」としての自分を冷静に見つめることができます。これが、新しいリーダーシップの出発点となります。
客観視がもたらす3つのメリット
自分を客観視できるようになると、マネジメントに大きな変化が生まれます。
- リソースの最適な再配分が可能になる 自分の弱みや不得意な分野を認識することで、「全てを自分でやろう」という発想から脱却できます。例えば、データ分析が苦手なのであれば、その分野が得意な部下に分析を任せ、自分は分析結果を元にした戦略立案に集中する、という判断が可能になります。これは、単なる「丸投げ」ではありません。上司が自分の不得手を認め、部下の強みを信頼して任せるという、積極的な権限移譲です。これにより、チーム全体としてのアウトプットは最大化されます。
- 部下育成の解像度が格段に上がる 自分の物差しだけで部下を見ていると、指導は一方向的になりがちです。しかし、自己を客観視し、「自分にできないことがある」と認められるようになると、部下一人ひとりの個性や特性にも目が向くようになります。「自分はこのやり方で成功したが、この部下には別のやり方が合っているかもしれない」という、多角的な視点が生まれるのです。部下の強みをどうすれば伸ばせるか、弱みをどうすれば補えるか、という具体的な育成プランを、より高い解像度で考えられるようになります。
- チーム内に心理的安全性が醸成される 上司が自らの弱みや失敗談をオープンに話すことで、チームの空気は大きく変わります。部下は、「この上司の前では、完璧でなくても良いのだ」「自分の弱みや失敗を正直に話しても受け入れてもらえる」と感じるようになります。これが心理的安全性の高いチームの状態です。心理的安全性が確保されたチームでは、メンバーは失敗を恐れずに新しい挑戦ができ、活発な意見交換が生まれます。結果として、組織全体の学習能力と問題解決能力が向上していくのです。
3. 「弱さ」を開示し、部下と共に成長するアプローチへ
自己を客観視し、自分の「できないこと」を認識したら、次に行うべきは、それをチームに対して適切に開示し、協力を求めることです。これは、決してリーダーとしての権威を損なう行為ではありません。むしろ、現代の複雑なビジネス環境において、持続的に成果を出し続けるチームを作るための、極めて合理的な戦略です。
「教えてくれないか」が部下を育てる
例えば、新しい営業支援ツールの導入を検討しているとします。もしあなたがITツールの操作に苦手意識を持っているならば、無理に知ったかぶりをする必要はありません。若手のデジタルネイティブな部下に対して、「新しいこのツールについて、私よりも君の方が詳しいと思う。基本的な使い方や、どう活用すれば我々のチームの成果が上がるか、少し勉強会を開いて教えてくれないだろうか」と、率直に頼んでみるのです。
頼まれた部下は、どう感じるでしょうか。「上司に頼りにされている」「自分の知識がチームの役に立つ」という自己肯定感が高まるはずです。そして、上司に教えるためには、自分自身がより深くツールを理解し、分かりやすく説明する準備をしなければなりません。このプロセスそのものが、部下にとって最高の学習機会となり、主体性と責任感を育むことにつながります。
「一緒に考えてほしい」がチームを強くする
また、ある難易度の高い顧客へのアプローチ方法に悩んでいるとします。一人で抱え込まずに、チームミーティングの場で、「この案件、正直どう攻めるべきか私も決めかねている。みんなの視点から、何か良いアイデアはないだろうか。一緒に最善策を考えてほしい」と投げかけてみるのはどうでしょう。
「完璧な上司」を演じていると、このような発言は「弱みを見せること」だとためらわれるかもしれません。しかし、実際には、部下たちは「上司も悩むことがあるんだ」と人間的な親近感を抱き、「自分たちの力でこの課題を解決しよう」と当事者意識を持つきっかけになります。多様な視点から意見を出し合うことで、上司一人では思いつかなかったような、創造的な解決策が生まれる可能性も高まります。
このように、上司が自らの「弱さ」や「不完全さ」を戦略的に開示することは、部下のエンゲージメントを高め、彼らの能力を最大限に引き出すための有効なマネジメント手法なのです。
4. 対話を通じた育成の実践 ― 1on1ミーティングの本当の価値
部下の主体性を引き出し、共に成長する関係性を築く上で、具体的な実践の場として非常に有効なのが、定期的な「1on1ミーティング」です。ただし、多くの企業で形骸化しがちな、単なる進捗確認の場であっては意味がありません。
自己客観視ができた上司が行う1on1は、その目的と質が大きく異なります。
「教える」場から「聞く・引き出す」場へ
従来のマネジメントにおける面談は、上司が部下に対して指示やアドバイスを与える、いわば「ティーチング」の場でした。しかし、これからの1on1で中心となるべきは、部下の考えや感情、キャリアに対する思いなどを深く「聞き」、彼らが自ら答えを見つけ出すのを支援する「コーチング」のアプローチです。
- 「今、仕事で一番楽しいと感じることは何?」
- 「逆に、最も難しい、あるいは、やりがいを感じられないと感じる業務は?」
- 「もし、何の制約もなかったら、今後どんなスキルを身につけたい?」
- 「今の業務で、もっとこうすれば良くなると思う点はある?」
このような問いかけを通じて、上司は部下一人ひとりの内面にある価値観やポテンシャルを理解します。そして、部下自身も、対話を通じて自分の考えを整理し、キャリアや業務に対する意識を深めていくことができます。
弱さを開示した上司だからこそ生まれる「本音の対話」
ここで重要になるのが、前述した「上司の自己開示」です。上司が普段から自分の不得意なことや失敗談を話していると、1on1の場でも部下は安心して本音を話しやすくなります。「実は、お客様との関係構築が苦手で悩んでいます」「この業務には正直、モチベーションが上がりません」といった、普段なら言いにくいような弱みや本音を打ち明けてくれる可能性が高まります。
部下から本音の課題を引き出すことができれば、育成の精度は飛躍的に向上します。関係構築が苦手な部下には、すぐに結果を求めるのではなく、まずは得意な分析力を活かして顧客への提供価値を高めるアプローチを一緒に考える。モチベーションが上がらない業務については、その業務の目的やチームへの貢献度を改めて伝えたり、本人の得意なやり方を試させたりする。そうした、一人ひとりに寄り添った、きめ細やかなサポートが可能になるのです。
1on1は、部下を評価するためだけの時間ではありません。上司と部下が互いの理解を深め、信頼関係を再構築し、共に成長していくための貴重な対話の時間なのです。週に一度、あるいは隔週に一度、わずか15分でも30分でも構いません。この対話の時間を継続的に設けることが、自走する個人と強いチームを育む上で、非常に大きな力となります。
結論:強い営業組織は「完璧なリーダー」ではなく「共に成長するリーダー」が作る
本稿では、営業組織を率いる経営者・営業責任者の皆様に向けて、「完璧な上司」という理想像を手放し、自己を客観視することの重要性について論じてきました。
かつての成功体験に固執し、「自分はできるのに部下はできない」という視点でマネジメントを行う限り、組織の成長には限界が訪れます。上司も一人の人間であり、できることもあれば、できないこともある。そして、部下もその事実に気づいている。この現実を真摯に受け止め、自らの弱みや不完全さを認め、開示することから、新しいリーダーシップは始まります。
自分の弱みを認識し、部下の強みを頼る。一人で抱え込まず、チームで課題解決にあたる。一方的に教えるのではなく、対話を通じて部下の主体性を引き出す。このようなアプローチは、一見すると遠回りに見えるかもしれません。しかし、これこそが、メンバー一人ひとりが自律的に考え、行動し、互いに学び合いながら成長していく、「自走する組織」を構築するための、最も確実な道筋です。
「完璧なリーダー」が率いるチームは、そのリーダーがいなくなれば機能しなくなります。しかし、「共に成長するリーダー」が育んだチームは、リーダーに依存することなく、変化に対応し、持続的に成果を生み出し続ける強さを持ちます。
まずは、ご自身のマネジメントスタイルを、一度客観的に振り返ってみてはいかがでしょうか。そして、チームのメンバー一人ひとりの顔を思い浮かべ、彼らの強みは何か、自分は彼らに何を頼れるかを考えてみてください。その小さな一歩が、貴社の営業組織を、より強く、よりしなやかなものへと変革させるきっかけとなるはずです。
もし、ご自身の組織を客観的にどう見れば良いか分からない、あるいは、具体的な変革の進め方について第三者の視点が必要だとお感じになる場合は、外部の専門家の知見を借りることも有効な選択肢の一つです。客観的な視点を取り入れることで、これまで見えていなかった課題や、新たな可能性が明確になるかもしれません。