「会社の成長のためには、まず社員の待遇を改善しなければならない」
多くの経営者様や管理職の方が、そうお考えのことと思います。実際、より良い条件を求めて転職するのが当たり前になった現代において、給与や福利厚生といった基本的な待遇は、社員の満足度を左右する大切な要素です。
しかし、もし「業界水準以上の給与を支払っているのに、なぜか社員の定着率が低い」「ボーナスを増やしても、社内の雰囲気が活性化しない」といったお悩みをお持ちだとしたら、少しだけ立ち止まって考えてみる必要があるかもしれません。
もしかすると、社員が本当に求めているものは、給与明細の数字だけではないのかもしれないからです。
このコラムでは、これからの時代に企業が持続的に成長していくために、なぜ「社員の幸せ」を考えることが大切なのか、そして、給与以外にどのような価値を提供していくべきなのかについて、分かりやすく掘り下げていきます。
1. なぜ「給与」だけでは、社員の心をつなぎ止められないのか?
人の欲求は、お腹が空いたらご飯を食べるように、単純なものではありません。心理学の世界には、「マズローの欲求5段階説」という有名な考え方があります。これは、人間の欲求を5つの階層で捉えたものです。
- 生理的欲求: 食事や睡眠など、生きていくための基本的な欲求
- 安全の欲求: 安定した暮らしや健康など、心身の安全を求める欲求
- 社会的欲求: 組織や集団に所属し、仲間が欲しいという欲求
- 承認欲求: 他者から認められたい、尊敬されたいという欲求
- 自己実現の欲求: 自分の能力を最大限に発揮し、理想の自分になりたいという欲求
給与や福利厚生は、主に1段階目の「生理的欲求」と2段階目の「安全の欲求」を満たすためのものです。これらは、生活の土台となる非常に大切な要素です。しかし、これらの土台がある程度満たされてくると、人は自然と、より高次の欲求である「社会的欲求」や「承認欲求」「自己実現の欲求」を求めるようになります。
つまり、「この会社に所属していて嬉しい」「仲間と一緒に目標を達成したい」「自分の仕事が認められている」「この仕事を通じて成長したい」といった気持ちです。
給与を上げることは、社員の不満を減らす効果はあります。しかし、それだけでは、社員が「この会社で頑張りたい」と心から思うための、積極的な理由にはなりにくいのです。社員のエンゲージゲージメント(仕事への熱意や貢献意欲)を高め、会社全体の活力を生み出すためには、この高次の欲求に目を向けることがとても大切になります。
2. 今の時代、社員が本当に求めている「働きがい」とは?
では、給与という分かりやすい指標以外に、社員は会社に対して何を求めているのでしょうか。それは、一言でいえば「働きがい」です。そして、「働きがい」は、いくつかの要素から成り立っています。
(1)「成長している」という実感
多くの人は、昨日よりも今日、今日よりも明日、自分ができることが増えたり、知識が深まったりすることに喜びを感じます。会社が自分自身の成長の場であると感じられることは、仕事へのモチベーションに直結します。
- 挑戦の機会: 少し背伸びをすれば届くような、新しい仕事や役割を任せてもらえること。
- 学びの支援: 研修や書籍購入の補助など、会社が自分のスキルアップを応援してくれていると感じられること。
- 的確なフィードバック: 自分の仕事に対して、良かった点や改善すべき点を具体的に伝えてもらえること。
特に、上司からのフィードバックは、社員の成長実感に大きな影響を与えます。単に結果だけを評価するのではなく、「あの時のプレゼンの準備、素晴らしかったよ」「この資料のこの部分は、もっとこうするとお客様に伝わりやすいかもしれないね」といった、日々のプロセスに対する具体的な言葉が、社員の「次も頑張ろう」という気持ちを育てます。
(2)「認められている」という実感
自分の仕事が、誰かの役に立っている、会社に貢献できていると感じられることは、大きなやりがいにつながります。これは、役職や経験に関わらず、すべての社員が求めていることです。
- 感謝の言葉: 「ありがとう」「助かったよ」といった、日常的な声かけ。
- 正当な評価: 成果を出した人が、きちんと評価される透明性のある仕組み。
- 存在の承認: 会議で発言する機会を与えられたり、自分の意見に耳を傾けてもらえたりすること。
人は、自分が「その他大勢」ではなく、「大切な一員」として扱われていると感じた時に、その組織への貢献意欲を高めます。高額な報酬よりも、上司や同僚からの「君がいてくれて助かるよ」という一言の方が、心に響くことも少なくありません。
(3)「心理的安全性」のある職場
「心理的安全性」とは、組織の中で、自分の考えや気持ちを誰に対してでも安心して発言できる状態のことです。
「こんなことを言ったら、馬鹿にされるかもしれない」 「失敗したら、ひどく怒られるだろうな」
もし社員がこのような不安を抱えていたら、新しいアイデアを提案したり、問題点を指摘したりすることをためらってしまいます。その結果、組織は新しい挑戦ができなくなり、少しずつ活力を失っていきます。
心理的安全性の高い職場では、社員は失敗を恐れずにチャレンジできます。そして、たとえ失敗したとしても、それを責めるのではなく、「なぜ失敗したのか」「次にどう活かすか」をチーム全体で考える文化があります。このような環境が、社員一人ひとりの能力を最大限に引き出し、イノベーションの土壌となります。
(4)良好な人間関係と、柔軟な働き方
1日の大半を過ごす職場の人間関係は、社員の精神的な健康に大きな影響を与えます。尊敬できる上司、信頼できる同僚の存在は、何にも代えがたい財産です。お互いにサポートし合える風通しの良い関係性は、仕事の生産性を高めるだけでなく、「この会社で働き続けたい」という気持ちを育みます。
また、個人の事情に合わせた柔軟な働き方ができるかどうかも、現代の会社選びの大きなポイントです。リモートワークやフレックスタイム制度の導入など、社員のワークライフバランスを尊重する姿勢は、会社からの信頼のメッセージとして伝わります。
3. 社員の「幸せ」を育むための、具体的な第一歩
ここまで、社員が給与以外に求める価値について見てきました。では、企業は具体的に何から始めればよいのでしょうか。その答えは、決して難しいことではありません。それは、「対話」から始めることです。
特に、上司と部下が1対1で定期的に対話する**「1on1ミーティング」**は、社員の幸せを育む上で非常に有効な方法です。
多くの企業で導入されている面談は、半期や年に一度、評価を伝える「査定面談」が中心かもしれません。しかし、1on1は評価のための場ではありません。その目的は、**「部下の成長をサポートすること」**にあります。
- キャリアの相談: 「将来、どんな仕事がしたい?」「そのために、どんなスキルを身につけたい?」
- 業務の悩み: 「今、仕事で困っていることはない?」「何かサポートできることはある?」
- モチベーションの源泉: 「最近、仕事でやりがいを感じたのはどんな時?」
- プライベートとの両立: 「働き方で、何か改善したいことはある?」
このような対話を、例えば週に1回、15分〜30分でも良いので継続することで、上司は部下の状態を深く理解することができます。そして、部下は「自分のことを気にかけてくれている」「会社は自分の成長を応援してくれている」と感じることができます。
この「認められている」「気にかけてもらえている」という感覚こそが、先ほど述べた「承認欲求」を満たし、エンゲージメントを高めるのです。
1on1は、単なる雑談ではありません。社員一人ひとりの「働きがい」の源泉を見つけ、会社として何ができるかを一緒に考える、未来に向けた大切な投資の時間です。最初はぎこちないかもしれません。しかし、この小さな対話の積み重ねが、上司と部下の信頼関係を築き、心理的安全性の高いチームをつくり、ひいては組織全体のパフォーマンス向上につながっていきます。
まとめ:社員の幸せが、会社の持続的な成長力になる
企業の成長は、優れたビジネスモデルや革新的な技術だけで実現するものではありません。その中心には、常に「人」がいます。そして、社員一人ひとりが「この会社で働けて幸せだ」と感じながら、自らの能力を最大限に発揮している状態こそが、企業にとって最も強い競争力となります。
- 生産性の向上: 働きがいの高い社員は、主体的に仕事に取り組み、高いパフォーマンスを発揮します。
- 離職率の低下: 会社に満足している社員は、安易に転職を考えません。採用や育成にかかるコストを削減できます。
- イノベーションの創出: 心理的安全性の高い職場では、社員が自由な発想でアイデアを出し合い、新しい価値が生まれやすくなります。
- 顧客満足度の向上: 幸せな社員は、お客様に対しても質の高いサービスを提供します。社員の満足が、巡り巡って顧客の満足につながるのです。
社員の幸せを追求することは、決してコストではありません。会社の未来を創るための、最も効果的な「投資」です。
給与や待遇という土台を整えることはもちろん大切です。その上で、社員一人ひとりの「成長したい」「認められたい」という気持ちに、会社としてどう向き合っていくのか。その答えを考えることこそが、これからの時代を勝ち抜く組織づくりの第一歩と言えるでしょう。
まずは、あなたの隣にいる社員が、今どんな気持ちで仕事をしているのか、少しだけ耳を傾けることから始めてみてはいかがでしょうか。その小さな対話が、会社の未来を大きく変えるきっかけになるかもしれません。