「野村っぽくない」とよく言われる|転勤族として育った私が営業育成の仕事をしている理由
転勤族として育ったことを話すと、
「大変だったんじゃないですか?」とよく言われます。
確かに、知らない教室に一人で入っていくのは
緊張しましたし、不安もありました。
でも当時はそれが当たり前だと思っていたので、
特別つらいとも感じていなかったんですよね。
仙台で生まれ、松本、鳥取、横浜、長崎、西宮、東京——
小学校だけで3回転校しました。
今の仕事をしながら振り返ってみると、
あの経験がどこかでつながっているような気がしています。
ただ当時からそれを意識していたわけではなくて、
今考えてみればそうだったのかな、という程度の話です。
知らない教室に入るとき、いつも思っていたこと
一番記憶に残っているのは、
小学2年生のときの長崎への転校です。
知らない子たちばかりのクラスに、一人で入っていく。
緊張しながら教室の扉を開けたことを、今でも少し覚えています。
そのとき何を考えていたかというと、
「どうすればみんなと仲良くなれるかな」
というよりも、もっと単純に
「どうすれば浮かずに済むかな」
くらいのことだったと思います(笑)
でも今振り返ってみると、
自分がどう見られるかと同じくらい、
その場にいる人たちのことを見ていたような気がします。
誰と誰が仲がいいのか。
どんな子が中心にいるのか。
どんな雰囲気のクラスなのか。
特別なことをしようとしていたわけではなくて、
新しい場所に入るたびに、
なんとなくまわりを見ながら
自分の居場所を探していた、という感じです。
転校を繰り返す中で、自然とやっていたこと
長崎の小学校でも、西宮の小学校でも、
受験して入った中学校でも、同じでした。
新しい場所に入るたびに、
まわりにいる人たちをなんとなく感じながら、
自分がどう動けばいいかを考えていました。
「考えていた」というより、
「いつの間にかそうしていた」という方が正確かもしれません。
振り返ると、リーダーのようなポジションにいることが
多かったように思います。
ただそれも、リーダーになりたかったからではなくて、
気づいたらそうなっていた、という感じです。
当時はそれが自分の特徴だとも思っていませんでした。
みんなそうやって新しい場所に馴染んでいくものだと
思っていたので。
今の仕事をしながら、気づいたこと
独立して営業育成の仕事をするようになってから、
ふと気づいたことがあります。
クライアントやメンバーと話をするとき、
相手が話しやすい雰囲気になるように
自然と動いている自分がいる。
どんな言葉に反応するか。
何を話すときに表情が少し変わるか。
どんなペースで話すと、本音が出やすそうか。
意識してやっているというより、
気づいたらそうしている、という感じです。
あ、これって転校のたびにやっていたことと
同じかもしれないな、と思いました。
正直に言うと、自分でもそこまで深く考えていなかったんです。
でも振り返ってみると、
新しい場所に入るたびにまわりを感じながら
自分の動き方を探していた経験が、
今の仕事のどこかに生きているような気がしています。
「野村っぽくない」と言われること
元大手証券会社出身というと、
怖そう・厳しそうというイメージを持たれることがあります。
実際に話してみると、
「こんなに聴いてくれるとは思わなかった」と
言っていただけることがあります。
「野村っぽくない」と言われることが、
私にとって一番嬉しい言葉です。
証券会社時代に数字を追い続けた経験は、
今でも自分の中にあります。
でも同時に、数字の前にまずその人を見ないと
何も始まらないということも、
あの環境の中で感じていました。
それが良かったのか悪かったのかはわかりませんが、
そういう人間です(笑)
最後に
転勤族として育ったことが、
今の仕事に直接つながっているかどうかは、
正直よくわかりません。
ただ、新しい場所に入るたびに
まわりの人たちを感じながら
自分の動き方を探してきた経験は、
確かに自分の中にあります。
「無理せず、一緒に考えましょう」という言葉は、
今も大切にしているスタンスです。
もしこの話を読んで、
少しでも話を聞いてみたいと思っていただけたなら、
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難しいことは何もありません。
一緒に考えましょう。
